ここではサイトリニューアル前の内容など、残しておいた方が良いと考えるコンテンツをまとめています。コンサルタントの人柄や考え方のご参考にしてください。
コンサルタント紹介

はじめまして、国際財務戦略コンサルタントの味水と申します。宮城県石巻市に住んでいます。
昔、ある経営者の方から
「味水はコンサルに向いているな」
の助言を受けて以来、独立する前からコンサルティングによる課題解決に携わってまいりました。
キャリアを重ねるにつれ、私自身がやりたいと思う仕事と現実との間に少しずつギャップが生じ、「自分が得意とするやり方で挑戦してみたい!」という想いが日増しに強くなりました。
コロナ禍で私個人や周囲の状況も大きく変わり、「今ここで行動しないと次のチャンスはないかも」と勇気を奮って会社を辞め、そして作ったのがこの『漸コンサルティング』となります。
経営戦略コンサルタントとは?
「プロ経営者、経営コンサルタントは『創造的頭脳業種』である」
「プロとは社会の中における『個人の突出』である」
三枝 匡『戦略プロフェッショナル』より
大手では経営戦略コンサルタントを雇っている企業も多いのですが、仕事の性質上、中々表には出てこない職業かなと思います。そもそもビジネスの何に役立つのか、分かりづらい点も多々あるかと思うのでご説明いたします。
なぜ分かりづらいかと言えば、様々なビジネスシーンで『戦略』という言葉が使われており、それぞれで意味合いが異なるためです。肩書は同じなのに、持っているスキルやノウハウが全く異なることもあります。
基本的には他のコンサルタント同様、クライアントの課題解決をするのがお仕事になります。正しいビジネスの目的を設定し、そしてその目的を達成するためのステップを描くことで、クライアントの目標達成を支援する技能職業です。
一言で全体プロセスを説明すると、
『クライアントの課題に対して大局的に漏れなく物事を把握し、優先順位を付けながら、論点となる検討項目を絞り込んでいき、仮説検証によって売上・コスト・リターン・実現性を考慮しながら選択肢をリスト化し、効率的・効果的に解決策を模索・提案していく』
となります。
一般的特徴はプロジェクトの企画段階、つまり情報やデータが少ない状況下でも、実現性のより高いと思われる解決策を一定の根拠を基に私たちは洞察・検証・提案していく、という事でしょうか。
専門は事業戦略です
企業戦略を筆頭に様々な戦略があります。その中で私が特化しているのは事業戦略(財務含む)となります。そこを中心とし、企業・IT・人材育成の分野を少しずつカバーしています。

実際には内容が重複している部分もありますし、私もすべての戦略に精通しているわけではありませんので、あくまで参考程度に捉えていただけたらと思います。
戦略系と会計系コンサルタントの違い
どこの業界にも専門を区分するカテゴリーが存在します。コンサルティング業界にもカテゴリーがありますので、ご説明しておきます。経営関係では一般的に、戦略系コンサルタントと会計系コンサルタントに大別されるのですが、得意とする分野もそれぞれ異なります。

大手コンサルティング会社でも、戦略系はマッキンゼーやBCG (ボストンコンサルティンググループ)、会計系はアクセンチュアやデロイトトーマツなど区別される事も多いです。
例えば私の場合、我流では限界がありますので、構造化による仮説構築や仮定の設定および推定計算の基本は、戦略に特化した”FIRMSconsulting”様の手法を参考にしています。元マッキンゼーのパートナー(つまりトップ)だった方も参加し、一流のコンサルタント育成のために教鞭を取っておられる会社です。共著者の一人として書いた書籍『NINE LEADERS IN ACTION』の出版元でもあります。
また、財務予測モデルの基本レイアウトや財務分析手法などは、会計系の教育機関”Corporate Finance Institute”様を参考にしています。私が今まで見てきた中で、一番見やすく洞察を得やすい分析アプローチだと思いました。
ちなみに、Excelを使った推定需給に基づいての財務予測モデル作成や、統合モデルの構築・洞察の導き方は私の今までの知識と経験を基に一から積み上げたオリジナル手法となります。
したがいまして、新規事業および新商品開発をテーマとした経営財務戦略においては、私は戦略系と会計系の両方の関連知識を持っていると言えます。
漸 (ZEN) の名称由来とロゴデザイン

名前は仏教の『漸悟』という言葉からお借りしました。一つ一つ努力を積み重ねた結果、悟りを開く事を意味します。何事にも始まりがあり、継続する事で結果が生まれます。その精神を忘れずに仕事をする、という意味があります。ちなみに対義語はただちに悟りを開くという意味で『頓悟』と言います。
もう一つは、漸という字には『水を切る』という意味が含まれています。『形のないモノ (価値) に切り込む』という、勇気・主体的行動理念を表すためにも使っています。
その他、ゼンという読みから『全力を出す』や『禅の精神』という意味も込めています。
ロゴデザインの鳥は『不死鳥フェニックス』で、江戸時代の中井竹山の言葉「苦しみて後悟り、倒れてまた立つ」をイメージし、日本刀は戦略家としての『武士道精神 (※1) 』を表しています。また、熱さと冷たさを兼ね備えた『秋霜烈日』という、私自身の生き方を表現する意味もあります。
※1 江戸時代から幕末にかけて、大塩平八郎・西郷隆盛・高杉晋作など、多くの志士が学び、明治維新の原動力となった学問『陽明学(※2)』の事です。30歳の頃に初めて王陽明の教えに出会い、自分がずっと追い求めていた答えがそこにあると分かりました。当時感動して涙が出た事を覚えています。以来10年以上、人生で実践するよう心掛けてまいりました。この突然目の前が開けた、暗い山から昇る朝日を見るような経験は、上記の『頓悟』に近いのではと感じます。
※2 郷土の陽明学者としては、中江藤樹の門人で熊沢蕃山とともに『藤門の双璧』といわれた淵岡山、そして『寛政の三奇人』と評せられた林子平(六無斎)がいます。下記はお墓をお参りした時の写真です。


「己の善悪を判断できるよう誠実であれ、そして己に打ち克つための勇気を持て」
補足:世間一般的に正しいと思われる行為が、時に悪徳を生み出すこともあります。孔子のいう『仁』の発現のため、誠実さと真実に基づく人間関係のため、自分に何が出来るかを模索しています。
「私は生来おとなしい人間だから、自己を呼び覚ますために烈しい言葉が必要なのだ」
ニーチェが妹に宛てた書簡中の言葉より
「突然変異は進化の基本プロセス」
映画『インターステラー』より
尊敬、共感する方々のご紹介
今まで、沢山の哲学系書物を読んでまいりました。以下の写真は、志を立て、真剣に学び始めた頃(2010年代前半)に撮ったものです。

2022年の現在、学問を通して私が人生の指針として尊敬・共感している方々を、ここでご紹介していきたいと思います。
書籍『NINE LEADERS IN ACTION』では河井継之助、王陽明、フリードリヒ・ニーチェの3名を挙げました。
ここではもっと視野を広げてみます。
春日潜庵:内に満々たる英気を秘めた、寂寞を好む秋霜烈日の陽明学者
一人目は自分が最も人生で共感する方、春日潜庵です。年少時は物分かりの悪さで教師をあきれさせたという逸話が残っている程の劣等生で、後年も同様に才気煥発という印象ではなく、ひたすら物事の本質を見極め、深く考えることに意をもちいる生き方を貫いた人です。寂莫にあこがれ、目立たないように心身を引き締めつつ己の道を見ようとする一方、内には満々たる英気を秘めた、陰と陽のバランスの取れた学者でした。私が知る中で、最も考え方や生き方が近いと感じます。ちなみに潜庵は西郷隆盛と深い心交があり、彼の教えを受けた人の中には東郷平八郎もいます。
エマソン:己の弱さを強さに変えた、『自己信頼』の哲人
二人目も私が共感している方で、不屈の精神を支える『自己信頼』を鼓舞した、アメリカ最初の思想家ラルフ・ウォルド―・エマソンです。健全なアメリカ精神の代表者として、『コンコードの哲人』と称されています。エマソンの教えは『奴隷解放の父』であり、最も偉大なアメリカ大統領とされている、第16代目のエイブラハム・リンカーンにも影響を与えました。
彼は幼少の頃から体が弱く、青年期には無力感・虚無感に打ちのめされており、その結果学業成績は振るわず、周囲からは「どんなことに対しても何の才能も持っていなかった」という評価を受けていたそうです。
同じ「弱さから生い茂って」きた者として、彼の自信にみなぎる自己信頼の主張は自分も非常に共感できますし、勇気づけられます。不思議なことに、王陽明の『致良知(良知に至る、または良知を致す)』『知行合一』『天地万物一体』の哲学とほぼ同じため、彼の言わんとしている事はすぐに理解できました。私が好きな言葉を引用します。
「不満は自己信頼(に基づく主体的精神)が欠けていることであり、意志が弱いという事だ。君自身に固執したまえ、ゆめ模倣などしてはならぬ。偉人は誰でもたったひとりだ。君に割り当てられていることをやりたまえ。そうすれば君は、いくら壮大な希望をいだいても、いくら不敵な思いを抱いていても、少しも出すぎたことにならない」
エマソン『自己信頼』より
「おのれ自身を全面的に信頼し、世間の叫喚にはけっして従わないということ、もしもひとりになって、おのれの直感の上に我が身を据えて揺るがず、その砦を守り抜けば、巨大な世界もやがて向こうから同調してくるだろう」
エマソン『アメリカの学者』より
マルクス:哲人王と称された、謙虚で表裏のない慈悲廉潔の古代ローマ皇帝
次は三人目のマルクス・アウレリウスについてです。簡単な時代背景から最初にご説明しますと、古代ローマ帝国は、当時の文明世界全体に影響を及ぼしており、ローマ皇帝はいわば世界君主の地位にありました。特にマルクス・アウレリウスを含む五賢帝時代は、徳と知恵とによって統治されていた、最も人類が幸福で栄えていた時期だったそうです。世界の平和と繁栄を指す言葉として、その黄金時代をパクス・ロマーナと呼びます。政治権力と哲学的精神とが一体化され、堕落せず、厳しく自己を律し、人間的向上に心を砕いた、有徳な人格者かつ国家指導者という、哲人政治(または徳治政治)を実践した歴史的に見ても珍しいケースとなります。
マルクスは軍人として前線に立つ事もありましたが、生来繊細で内省的な性格でした。そのため、軍人としての荒々しい日常生活や、陰謀や打算が渦巻く宮廷生活は性に合わなかったようです。死は身近な存在で、心は常に孤独感や恐怖感で満たされていました。そこで、彼は真の自由の境地を見出そうとし、自省した結果、内なる自己の心こそが、唯一の安息地であり、生きていくためのエネルギーが湧き出る場所という事に気づきます。
彼の温和で人を疑わず、人と争おうとしない沈思的な性格は、生来の私の内向的性格とも合っているため、自然と受け入れる事ができます。もし古代ローマ時代に生きているとしたら、彼の下で働きたいと思えるような方です。たとえその教えが理想主義に偏重していたとしても、ビジネス上で可能な限り実践していきたいと思います。
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」
マルクス・アウレリウス『自省録』より
マキャベリ:善悪の価値基準を転換させた、性悪説に基づく現実的合理主義者
四人目のマキャベリは、ルネサンス期イタリアのフィレンツェで、貧しい没落旧家として生まれました。30代の頃に現実政治の中で活躍し、40代で投獄、後に釈放されましたが、政界復帰の望みを断たれたため、郊外の山荘に退きました。その失意と孤独の中で執筆されたのが、『君主論』や『ディスコルシ(ローマ史編)』となります。生々しい政治体験によって書かれたそれら書物は、鋭い洞察とリアリズムに満ちています。
私個人は、前段のマルクス・アウレリウスの理想主義・性善説を好むのですが、なぜ性悪説に基づくマキャベリズム(権謀術数)を学ぶかと言いますと、自分でそれを実践するためというよりも、現実のビジネス世界でマキャベリストの方とどのように接していくかを考える上で、役立つと思ったからです。経営戦略コンサルタントとして、組織を保ち、熾烈な競争の中で生き残るためにも、様々な可能性を考慮に入れておく必要があります。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
『孫子』の兵法より
「敵から身を守ること、味方をつかむこと、力またははかりごとで勝利をおさめること、民衆から愛されるとともに恐れられること、兵士には命令を守らせるとともに尊敬されること、君主に向かって危害を加えうる、あるいは加えそうな連中を抹殺すること、古い制度を新しい方法で改革すること、厳格であるとともに丁重で、寛大で、闊達であること」
マキャベリ『君主論』より
日本人ですと、剣豪宮本武蔵がマキャベリストの典型例と言えます。彼が書いた『五輪書(ごりんのしょ)』は、兵法としての剣術書であり、その内容は、勝つためには手段を択ばない策略と徹底した実用主義によって貫かれています。武士としてあるべき姿勢、心構えなどの精神性は説かれていません。宮本武蔵のように、どんな事をしてでも相手を斬り、勝ち残るという気迫が強い方に対して、こちらが控え目な博愛主義で対応するのは現実的とは言えません。なぜなら、場合によっては相手に精神的な弱さと受け取られかねないためです。
マルクスの正義感・寛容さ・優しさが、後のローマ帝国衰亡の遠因になった可能性を考慮しますと、現実を見る事も大事だと痛感します。
このように、様々な問題に対処できる強い人間であるためには、善の資質に加え、悪の資質も必要不可欠となります。
「人が現実に生きているのと、人間いかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、何事につけても、善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを、習い覚える必要がある。そして、この態度を必要に応じて使ったり、使わなかったりしなくてはならない。……しかし前にも言ったように、もし出来ることなら善から離れないよう、そしてやむを得ない時は悪にしたがう道も心得ておかなければならぬ」
マキャベリ『君主論』より
孔子:自他を救済する『修己治人』の道を説き、『仁』の発現を期待した漂泊の聖人
五人目の孔子は、自他救済論として『修己治人(しゅうこちじん)』の道を説き、最高の徳である『仁』の発現を期待した儒教の始祖です。
『修己治人』とは、まず自己を完成させ(自己改革)、その後で多くの人々を救済すること(社会的実践)を意味します。自己を始点とし、身近なものから順次大きなものへと、遠心的に徳を高め、拡げていきます。そして『仁』とは、人間への愛情、思いやりを示す言葉であり、その発現には、人間相互の正しい距離、つまり人間における関係性の洗練が必要とされています。日本人の『仁』の体現者としては、『敬天愛人』を実践した西郷隆盛がいます。
(現実的に考えますと、最初から完璧な人間になれるわけがないので、学問と社会的実践はサイクルとして考えるのが望ましいと思います)
孔子と弟子との対話をまとめた有名な『論語』は、孔子の自叙伝とも言われています。15歳で学問を志した彼は、『論語』でも学而編(がくじへん)から始まるように、生涯を通して学ぶ人でした。若くして世の辛酸を味わった苦労人でしたので、その教えには厳しい態度・表現のものも含まれています。後半生もほとんど亡命・流浪の生活だったため、世間的に見れば、社会的失敗者にほかありませんでした。このような貧窮・孤独・不遇・逆境の人生が、孔子を偉大な聖人に成長させたのかもしれません。
「人間は、現に生きている現実の中で、時代に沿い、あるいは時代に抗してつねに学ばねばならない。変化変遷する時代のなかで、己の信ずる生き方を貫くこと。日々、勉強し自己研鑽して向上を図り、人生のよき友、真実の友を得て人生の貴重な時間を共有する。つねに全力を出しきることに心を尽くして、名声、出世立身といった現世価値や周囲の評価を自尊心の支えにしない。学ぶことによって、不遇・逆境もまた甘受すべき運命であることを知り、自足の境地に安んじることにある」
孔子『論語』学而編、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳
数多くの企業の創立に関わり、日本実業界の祖と評され、『日本株式会社を作った男』とも言われる渋沢栄一も、人生の書として『論語』を座右に置き、その経営哲学を『論語と算盤(そろばん)』という言葉で表現しました。彼の経営哲学は倫理道徳と経済活動の一致、つまり全ての事業・ビジネスは必ず倫理道徳を根本とし、公益を念頭に置かなければ、そこに本当の繁栄はないという事を説いています。
渋沢の経営哲学は最近になって知りましたが、まさしくその通りだと思います。持続可能な社会のため、そして人々の幸福に繋げるため、ビジネスには道徳(モラル)が絶対に必要です。
「如何に仁義道徳が美徳であっても、生産殖利を離れては、真の仁義道徳ではない。生産殖利もまた仁義道徳に基づかざれば、決して永続するものではない。……わが心に安心立命(あんじんりゅうめい)を得て、総じて、外物を頼まず、身に仁義道徳を行いて、国家社会を益し、その間に哲理を講じ、文学を玩味し、歴史を評論するだけの知識を持ち、而して経済の事に十分通暁している者でなければ、真正の実業家とはいわれない」
渋沢栄一『青淵先生訓言集』より
私自身は、自己修養における基本的指針またはフレームワークとして、孔子の教えを参考としています。詳しく学んだ、王陽明の『到良知』や『知行合一』という哲学も、元は孔子を祖とする儒教の流れから派生的に生まれたものです。東洋で彼に匹敵する思想家は他に仏教の釈迦がいますが、その流れを組む禅の教えは、王陽明の哲学と似ています。そして西洋では、エマソンの『自己信頼』の思想が陽明の『到良知』とそっくりです。また、性善説の哲人たる古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスも、そこに性悪説に基づく哲学(人間関係における摩擦を避けず、正直に対応する姿勢)を加えると、孔子の思想に近づきます。つまり、私においては「すべての道は孔子に通ず」と言えない事もありません。
「それでは儒教の基本書たる『四書五経』だけ学べば十分では?」と人は思われるかもしれませんが、自分にはなぜかそれらの書物がしっくりときませんでした。おそらく、学問を通して己を修める(つまり己を知り、己に打ち克つ)には、人それぞれでたどるべき段階・道筋があるのだと思います。陰陽の考え方で例えますと、自分は幼少の頃から陰の属性が強く、陽の力が乏しかったので、生きる活力を生み出す、王陽明やニーチェの哲学(例えば『力への意志』)を最初に学ぶ必要があったのだと考えています。
論語の最後は、以下のように結ばれています。
「孔子は言う。万物の創造者である天が各人に下した『天命』の意味を理解し、これに案ずることができないものは、君子とは言えない。人間が築き培ってきた歴史的伝統や人間社会における取り決め事・約束事である『礼』というものが理解できなければ、世の中で生きていくことはできない。文明の累積・象徴である『哲学や思想』といったものを知らなければ、自分はもちろん、社会や人間一般のことを理解できるはずがない」
孔子『論語』最終章、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳
社会で生活していくために、多くの人は『礼』を理解していますが、それでは『天命』を知って実行し(知命や立命と言います)、『哲学や思想』の重要性を理解して生きている人は、この世でどれだけいるのでしょうか?本当の持続可能社会を目指すため、私は必要不可欠な考え方だと思います。
三島平八:善悪を超越した力の求道者
六人目は、私が10代や20代の頃によく遊んでいたゲーム『鉄拳』のキャラクター、三島財閥のトップであり格闘家でもある三島平八です。見た目からして個性がありますが、性格も強烈な人です。歯向かった自分の息子を谷底に落としたり、逆に窮地に陥った息子をかばったりします。当時軟弱で迷ってばかりいた私にとって、その圧倒的な強さはあこがれとなり、歳を取ったらあんなパワフルなじいさんになりたいとずっと願っておりました。ニーチェの超人思想のある一面を単純に分かりやすく表現すると、平八のキャラクターがそれに近い気がします。私はいい歳ですが、彼の境地に達するにはまだまだ未熟です。
仙水忍:堕ちた純粋な完璧主義者
最後の七人目は、漫画やアニメでも登場した『幽遊白書』の仙水忍というキャラクターです。純粋な善と悪の心を併せ持ち、圧倒的な強さで主人公たちを追い詰める悪役として登場します。ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくる、純粋・無欲・真面目ゆえに魔境(※)に堕ちた主人公ラスコーリニコフを連想させます。仙水には心から共感・同情する部分もあれば、一方自分自身が同じ落とし穴に落ちないようにという反面教師として学ぶべき点があります。ニーチェが「鉄面皮な者、冷笑する者になるな」と強く警鐘を鳴らしているのも同様の理由で、希望を失った人の危険性を十分知っていたからだと思います。仙水のセリフの中で今でも覚えているのが、「俺はね、レベルを最高に上げてから敵のボスキャラに戦いを挑むんだ」という箇所です。全く割に合わないほど多大な時間を要して訓練し、最高まで強くなってから戦いを挑むという姿勢は私も全く同じで、人生や仕事でもその考え方は変わりません。そしてもう一つのセリフ、「これは修行中に自ら負った傷だよ、敵につけられた傷など一つもない」という言葉です。仕事上、心を開いて相手の立場で考える事も多いので、この「努力の過程で自ら傷を負い、敵に付けられた傷はない」という考え方は非常に示唆に富んだ教えと感じます。
以上、私が尊敬および共感する人々として、(架空の人物もいますが)書籍とここで10名ご紹介いたしました。
※ 魔境という表現は、近江聖人中江藤樹の『翁問答』に出てくる言葉を参考にしました。
潜在能力を発揮するための『経営哲学』をご紹介:時代を超えた学習プログラム
ここからは、前段でご紹介した偉人たちの知恵を参考にして生み出した、潜在能力を発揮するための、哲学に基づく私の自己修養プロセスをご紹介したいと思います。
日本人が長年培ってきた武士道精神に、現代社会の知識・スキルを組み込む事で、個のポテンシャルを最大限に引き出した、時代を超える学習プログラム、かつ自身の人間的成長をも加味した包括的な『経営哲学』となります。
1.なぜ潜在能力を重視するのか?
まず本題に入る前に、潜在能力発揮について、なぜ私が重要視するかを二つの点からご説明します。
1-1.己自身に打ち克つため
一つ目は、己自身に打ち克つため(克己のため)です。自分に勝つためには、まず己を知る必要があります。そのために自己修養が必要になります。
よく「最大の敵は自分自身」と言いますが、全くその通りで、人は簡単に自分に負けてしまうことがあります。特に、生の虚無や孤独に対する恐怖を克服するためには、誠実さと勇気を持って、己自身に打ち克つしかありません。自己が強くなればなるほど、敵も強くなるので、己を高め・深め続ける生涯をかけた修練となります。
人間的成長に必要となる学問は一人一人異なりますけれど、少なくとも哲学に関して言えば、教えそのものに正しいも間違いもありませんので、個人・家族・社会・自然の間で調和が取れていればそれで良いと思います。調和が取れ、心身共に満たされた生活を送れるのであれば、学問は、哲学・儒教・仏教・キリスト教・道教など、どれを選んでも構いません。もしいずれも必要なければ、それもまた良いと思います。
1-2.一流の人々に勝つため(国際ビジネスで勝つため)
二つ目は、一流の人々に勝つため(国際ビジネスで勝つため)です。
私は10年間オーストラリアに住んで、世界中の人々と一緒に大学で勉強してきましたので、日本が現在置かれている状況もよく理解しています。ニュースを読んでいると、日本人は現在、欧米社会が作ったルールに合わせて、同じ土俵・条件で戦おうとしていますが、はっきり言いますと、それは無謀な試みと言えます。未知なるものへ挑戦する勇気や行動力に大きな差がありますので、初めから分が悪いからです。
そこで、私がここで言いたいのは、「日本人は自らの歴史・伝統を見つめ直し、その上で各人が行うべきことを全力で行って、世界と勝負していくべき」という事です。頭脳だけでなく、日本の歴史・伝統文化を最大限に活用すべきです。
「各人が行うべきことを全力で行って」の部分を王陽明の哲学で言い換えますと、「あなたの良知に至り、良知を致しなさい」となります。また、孔子の哲学ですと『知命と立命』という表現になり、同じ意味になります。陽明の『知行合一』という言葉は、よく学校の校長室とかに飾ってあったりしますが、そこに含まれている意味は、読んで字のごとく「学んで行動すること」だけではありません。『到良知』の二つの意味や、「学んで行動しないこと」も含まれています。人に教える際は、この点に気を付ける必要があります。
それと、プライベートな話となりますが、自分は子供の頃からよく馬鹿と言われてきました。オーストラリアで大学に通っていた時も、地頭が良くないので授業に付いていくのが大変でした。そのため、修養を通して自分が本来持っている潜在能力を発揮しない限り、一流の人々と戦っても勝てる見込みがないという実情もあります。地頭の良さでは大きく負けている以上、少なくとも精神力(気合)では彼らをはるかに圧倒していなくてはなりません。今までいろんな経営戦略コンサルタントを見てきましたが、自らの土俵で能力を全開にすれば、少なくとも個人レベルでは、相手も人間なので誰でも勝てるチャンスはあると思います。
もし、「自分は頭がそんなに良くないけれど、人生このままでは終わりたくない!」という方がいらっしゃいましたら、私のように志を立て、真剣に学問に取り組んで、自己完成を目指していくのも良いかもしれません。元々の頭の良さは変えられませんが、心を強くすることであれば、志(こころざし)次第で誰でもできます。どこまで助言できるかは分かりませんけれど、悩んでいる方は一度お問い合わせください。
以上、潜在能力を重視する理由の説明はここまでとし、本題の潜在能力発揮に向けた、知行一致プロセスをご紹介していきたいと思います。
2.潜在能力を発揮するための経営哲学:『到良知』と『力への意志』
2-1.はじめに
専門用語が多いので、哲学初心者の方にはとっつきにくい内容となっております。実際に自分と何回か会えば、普通の人と異なるというのはすぐ分かると思うのですが、その理由は過去の偉人の教えを10年以上に渡って実践しているからです。『経営哲学』を理論として文章にしますと、以下の内容になるという事であり、現実の経営戦略や財務のお仕事ではこのようなお話はいたしません。理屈の代わりに、行動で示します。
2-2.『経営哲学』の理論体系
私の場合、全体の自己修養モデルとして、王陽明の『到良知』とニーチェの『力への意志』を基本的指針とし、孔子の『修己治人』、陽明の『知行合一』、大塩平八郎の『理気合一』を基本フレームワークとしています。
そこに陽の属性を強めるため、ニーチェの『永劫回帰』やエマソンの『自己信頼』を加え、さらにビジネス問題に現実的な対処ができるよう、マキャベリの『マキャベリズム(現実的合理主義)』を組み込んでいます。

「志を立て(立志)、自己修養し、己を知り、己に打ち克ち(克己)、天命を知り(知命)、気合で学び・創造し、全力で実践(立命)します。そこから、私なりの『仁』の発現を目指します」
補足:孔子の『仁』とニーチェの『贈り与える徳』は同じ意味と考えます
孔子は、最高の徳を『仁』としました。一方のニーチェは、『ツァラトゥストラはこう言った』の第一章最後の方で、「最高の徳はありふれてなく、実用的でなく、光を放って、しかもその輝きが柔和である。最高の徳は、贈り与える徳なのだ」と言っています。言い方や考え方のアプローチが異なるだけで、私はそれらを同じ意味として受け止めています。どちらの表現を使うか悩みますが、『仁』の方が多くの日本人にとって馴染み深いので、ここではそちらを使いました。
ビジネスのPDCAサイクルのように、知識を学んだら現実社会で実行し、その結果を学問にフィードバックします。この自己修養のプロセスを繰り返すことで、自分および社会に対し、さらなる高み・深みを目指します。
注意:
このモデルは、私自身の気質や性格などを考慮して作られたものです。タイプが異なれば、自己修養の内容も異なります。
2-3.重要な事は『気合の発現(潜在能力の開放)』
ここでの肝は、個人の『潜在能力を発揮』させるため、いかに学問・修養を通し『気合を発現(潜在能力を開放)』させるかです。これは気を外に発散させるという意味ではなく、逆に内に凝縮・溜める(これを収斂と言います)ための修行となります。ニーチェ流に言いますと、つまるところ彼の哲学『力への意志』とは、『力の開放』であり、『力を自由にすること』なので、陽明の『到良知(良知に至る)』とこの点において同じ意味合いとなります。
したがいまして、学者であれ武人であれ、陽明学を学んだ人々の中に、ニーチェ哲学の『超人』を彷彿とさせるような方々がいらっしゃるのは偶然ではありません。勘違いして学習するといけないので、先人の陽明学者、佐藤一斎や山田方谷などは、初学者には軽々と教えなかったようです。例えば、空手の有段者は戦う力を持つがゆえに、普段から自らを厳しく律して生活します。学問も例外ではありません。戦うための知識を持つがゆえに、自らを厳しく律する必要があります。
「精神・道徳・言動は概(おおむ)ね収斂(しゅうれん)を主と為す。発散はこれやむ事を得ざるなり。天地人物皆然(しか)り」
王陽明『伝習録』より
「精神の収斂するよりはじむべし。精神を収斂する事は、言葉を慎むよりはじまれり。悪口妄言世俗の卑辞は、少し心ある人はいはず。言葉の発し易き事は吾らの通病也。いはざるを以てへだてと思うべからず」
熊沢蕃山『集義和書』より
先ほどのモデル図をご覧いただくと分かるように、『気合の発現』により仕事やビジネスなどで全力を出せるようになるというメリットもありますが、それ以外にも、そもそも主体性・やる気・基礎能力が向上しますので、学習時の理解度も大きく向上するというメリットもあります。
2-4.私が志すは『潜龍』としての生き方
以上より、私が志すべきは『潜龍』として生きる事にあります。『易経』には、孔子の言葉として次のように書かれています。
「子曰(いわ)く、龍の徳あって隠るるものなり。世に易(か)えず、名を成さず、世に遁(のが)れて悶(いきどお)るなく、是(ぜ)とせられざれども悶(いきどお)るなし。楽しめばこれを行い、憂うればこれを去る。確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり」
大橋健二『中江藤樹・異形の聖人-ある陽明学者の苦悩と回生』より
また、高杉晋作が愛読していた熊沢蕃山『集義和書』には、以下のような記述もあります。
「龍といふものは、羽なくて天に昇るほどの陽気の至極(しごく)を得たるものにて候(そうろう)へども、平生は至陰(しいん)の水中にわだかまり居(おり)候。是(ここ)を以て真実に武勇の心がけある人は、常々の養ひをよく仕(つかまつ)る事に候」
大橋健二『日本陽明学 奇蹟の系譜』より
そして淵岡山は師の中江藤樹の学問を、「先師(藤樹)の学は潜龍也。時のいたらざるを以て、身を江西にひそめて此道(しどう)を後世にのこさん事をのみ心とし給(たま)へりとなり」と言っていたそうです。
これは自分もある意味そうかもしれません。世間様から見て変わっていることは百も承知していますが、本性が求道的である以上、潜龍として最後まで己に沿って生きるまでです。これが『到良知(良知を致す)』となります。
3.『経営哲学』のまとめ
おそらくほとんどの方は、現代で生きていくために役立つ、個人および社会に関連する知識を優先的に学び、習得したそれらスキルを実際に世の中で活用されていると思います。ここでは、わざわざその重要性について論じるまでもないでしょう。
ただ、それで全力を出す事ができ、かつ人生に満足できる方でしたら全く問題ないのですが、私もそうでしたけれど、皆がそうではないはずです。いくら社会で成功し、他者の評価を積み上げても、人生に満足できずに疑問を持たれる方は一定数いると思います。
社会的成功(現にある自己)と、どのように生きたかという内実への問い(あるべき自己)は、同じ方向を向いている事が望ましいです。
当ビジネスコーチングでは、ビジネススキルを学ぶだけではなく、いかに効率的に学び、自らの能力を存分に発揮できるようになるかのご相談もお受けします。お気軽にお問い合わせください。
味水の活動履歴
最後に、私の経歴を仕事以外の活動も含め、もう少し詳しくご紹介したいと思います。
1979年生まれ 宮城県石巻市出身。
20代をずっとオーストラリアで暮らし、大学はクイーンズランド州で最大規模を誇る『Queensland University of Technology (QUT)』を卒業。専攻は電気&コンピューター学科。

大学では、JAESat (Joint Australian Engineering Sattelite) プロジェクトに参加、テレメトリ(※)サブシステムのリーダーを務め、仕事では、主にウェブサイト制作やマーケティング、電子機器のメンテナンスなどを行う。
※ この場合、テレメトリとは人工衛星の健康状態、つまり全体のシステムが問題なく動作しているかどうかを各センサーでチェックし、そのモニタリングデータを地上のコントロールセンターへ送信する機能の事です。テレメトリ以外には電源・GPS・姿勢制御サブシステムがあり、さらにそれらを統合制御するためのメインコントロールシステムがあります。
学業以外では、国際色豊かな『4EB FM Radio Station』でボランティアとして数年間働き、その間に地域コミュニティへの貢献を目的とした『日本語ラジオグループ』を立ち上げ、初代代表『Convenor (招集者) 』に選ばれる。最盛期には20人以上の会員が集まり、チーム皆の努力で短期間でスポンサーを得る事にも成功する。


20代後半でビジネスに興味を持ち、起業(観光客向けの折り畳み自転車レンタルサービス『Bicycar』)にも挑戦するが失敗する。
日本に帰国後、今までの人生に思うところがあり、熊沢蕃山が提唱した『武士土着論』を実践するため、しばらく自給自足の農業を行う。鶏舎から自作したニワトリの飼育様子は、本で紹介される。




その過程で、ある産業で東北有数の企業にスカウトされて就職。農産物を生産・加工する仕事から始まり、商品開発・ホームページの企画作成、制御系システムの管理、メディアプロモーション、人材育成と急激に仕事の幅を増やしていく。
ある時、経営者の方から「味水はコンサルタントに向いているな」と助言を受け、聞き上手な性格(その分話下手ですが)と生来の洞察力を生かし、戦略コンサルタントとして働きはじめる。
問題解決のみでなく、事前に予見し・予防する事にも注力し、経営で起こりえた深刻な状況を2度回避。また、世の中のトレンドに合わせ、商品の売上を数倍に伸ばした実績あり。
自らの強み・能力で世の中に貢献できるよう、全力で活動中です。