2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、今まで沢山の哲学系書物を読んでまいりました。書籍『NINE LEADERS IN ACTION』では、河井継之助・王陽明・フリードリヒ・ニーチェの3名を挙げましたので、ここでは、私が人生の指針として尊敬・共感している他の方々をご紹介したいと思います。
以下の写真は、自分が志を立て、真剣に学び始めた頃に撮ったものです。
1.春日潜庵:「内に満々たる英気を秘めた、寂寞を好む秋霜烈日の陽明学者」
一人目にご紹介するのは、人生において最も共感のできる、春日潜庵という方です。年少時は物分かりの悪さで教師をあきれさせたという逸話が残っている程の劣等生で、後年も同様に才気煥発という印象ではなく、ひたすら物事の本質を見極め、深く考えることに意をもちいる生き方を貫いた人となります。
寂寞にあこがれ、己の道を見ようとする一方、内には満々たる英気を秘めた、陰と陽のバランスの取れた学者でした。私が知る中で、最も性格的に近いと感じます。
ちなみに、潜庵は西郷隆盛と深い心交があり、彼の教えを受けた人の中には東郷平八郎もいます。
2.エマソン:「己の弱さを強さに変えた、『自己信頼』の哲人」
二人目も私が共感・尊敬している方で、不屈の精神を支える『自己信頼』を鼓舞した、アメリカ最初の思想家ラルフ・ウォルド―・エマソンです。健全なアメリカ精神の代表者として、『コンコードの哲人』とも称されています。
エマソンの教えは『奴隷解放の父』であり、最も偉大なアメリカ大統領とされている、第16代目のエイブラハム・リンカーンにも影響を与えました。
エマソンは幼少の頃から体が弱く、青年期には無力感・虚無感に打ちのめされており、その結果学業成績は振るわず、周囲からは「どんなことに対しても何の才能も持っていなかった」という評価を受けていたそうです。
同じ弱さから生い茂ってきた者として、彼の自信にみなぎる自己信頼の主張は非常に勇気づけられます。
不思議なことに、中国の王陽明の哲学、『致良知(良知に至る、または良知を致す)』・『知行合一』・『天地万物一体』と考え方はほぼ同じため、彼の言わんとしている事はすぐに理解できました。私が好きな言葉を引用します。
「不満は自己信頼(に基づく主体的精神)が欠けていることであり、意志が弱いという事だ。君自身に固執したまえ、ゆめ模倣などしてはならぬ。偉人は誰でもたったひとりだ。君に割り当てられていることをやりたまえ。そうすれば君は、いくら壮大な希望をいだいても、いくら不敵な思いを抱いていても、少しも出すぎたことにならない」
エマソン『自己信頼』より
「おのれ自身を全面的に信頼し、世間の叫喚にはけっして従わないということ、もしもひとりになって、おのれの直感の上に我が身を据えて揺るがず、その砦を守り抜けば、巨大な世界もやがて向こうから同調してくるだろう」
エマソン『アメリカの学者』より
3.マルクス:「哲人王と称された、謙虚で表裏のない慈悲廉潔の古代ローマ皇帝」
三人目は、マルクス・アウレリウスです。古代ローマ帝国の皇帝ですね。
時代背景からご説明しますと、古代ローマ帝国は、当時の文明世界全体に影響を及ぼしており、ローマ皇帝はいわば世界君主の地位にありました。
特にマルクス・アウレリウスを含む五賢帝時代は、徳と知恵とによって統治されていた、最も人類が幸福で栄えていた時期だったそうです。世界の平和と繁栄を指す言葉として、その黄金時代をパクス・ロマーナと呼んでいます。
政治権力と哲学的精神とが一体化され、堕落せず、厳しく自己を律し、人間的向上に心を砕いた、有徳な人格者かつ国家指導者という、哲人政治(または徳治政治)を実践した歴史的に見ても珍しいケースとなります。
マルクスは軍人として前線に立つ事もありましたが、生来繊細で内省的な性格でした。そのため、軍人としての荒々しい日常生活や、陰謀や打算が渦巻く宮廷生活は性に合わなかったようです。死は身近な存在で、心は常に孤独感や恐怖感で満たされていました。
そこで、彼は真の自由の境地を見出そうとし、自省した結果、内なる自己の心こそが、唯一の安息地であり、生きていくためのエネルギーが湧き出る場所という事に気づきます。
彼の温和で人を疑わず、人と争おうとしない沈思的な性格には共感を覚えますし、もし古代ローマ時代に生きているとしたら、彼の下で働きたいと思えるような方です。
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」
マルクス・アウレリウス『自省録』より
4.マキャベリ:「善悪の価値基準を転換させた、性悪説に基づく現実的合理主義者」
四人目のマキャベリは、ルネサンス期イタリアのフィレンツェで、貧しい没落旧家として生まれました。
30代の頃に現実政治の中で活躍し、40代で投獄、後に釈放されましたが、政界復帰の望みを断たれたため、郊外の山荘に退きました。その失意と孤独の中で執筆されたのが、『君主論』や『ディスコルシ(ローマ史編)』となります。生々しい政治体験によって書かれたそれら書物は、鋭い洞察とリアリズムに満ちています。
私個人は、前段のマルクス・アウレリウスの理想主義・性善説を好むのですが、なぜ性悪説に基づくマキャベリズム(権謀術数)を知ろうとするのかと言いますと、実際のビジネスでは、現実合理主義的な考え方も非常に重要となるからです。組織を保ち、熾烈な競争の中で生き残るためにも、様々な可能性を考慮に入れておく必要があります。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
『孫子』の兵法より
「敵から身を守ること、味方をつかむこと、力またははかりごとで勝利をおさめること、民衆から愛されるとともに恐れられること、兵士には命令を守らせるとともに尊敬されること、君主に向かって危害を加えうる、あるいは加えそうな連中を抹殺すること、古い制度を新しい方法で改革すること、厳格であるとともに丁重で、寛大で、闊達であること」
マキャベリ『君主論』より
日本人で例えますと、剣豪の宮本武蔵がマキャベリストの典型例と言えます。彼が書いた『五輪書(ごりんのしょ)』は、兵法としての剣術書であり、その内容は、勝つためには手段を択ばない策略と徹底した実用主義によって貫かれているからです。武士としてあるべき姿勢、心構えなどの精神性は説かれていません。
宮本武蔵のように、どんな事をしてでも相手を斬り、勝ち残るという気迫が強い方に対して、こちらが控え目な博愛主義で対応するのは現実的とは言えません。なぜなら、場合によっては相手に精神的な弱さと受け取られかねないからです。
マルクスの理想主義的な正義感・寛容さ・優しさが、後のローマ帝国衰亡の遠因になった可能性を考慮しますと、現実を見る事も大事だと痛感します。
このように、様々な問題に対処できる強い人間であるためには、善の実践に加え、時には悪を実行する力も必要になります。
一応、ここで私が言いたいのは、自分もマキャベリのようにありたいという事ではなく、戦略コンサルタントとして、そういう考え方にも理解を示せるようになりたいという意味です。
「人が現実に生きているのと、人間いかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、何事につけても、善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを、習い覚える必要がある。そして、この態度を必要に応じて使ったり、使わなかったりしなくてはならない。……しかし前にも言ったように、もし出来ることなら善から離れないよう、そしてやむを得ない時は悪にしたがう道も心得ておかなければならぬ」
マキャベリ『君主論』より
5.孔子:「自他を救済する『修己治人』の道を説き、『仁』の発現を期待した漂泊の聖人」
五人目の孔子は、自他救済論として『修己治人(しゅうこちじん)』の道を説き、最高の徳である『仁』の発現を期待した儒教の始祖となります。
『修己治人』とは、まず自己を完成させ(自己改革)、その後で多くの人々を救済すること(社会的実践)を意味します。自己を始点とし、身近なものから順次大きなものへと、遠心的に徳を高め、拡げていきます。
そして『仁』とは、人間への愛情、思いやりを示す言葉であり、その発現には、人間相互の正しい距離、つまり人間における関係性の洗練が必要とされています。日本人の『仁』の体現者として有名なのは、『敬天愛人』を説いた西郷隆盛がいます。
弟子との対話をまとめた有名な孔子の自叙伝である『論語』も、学而編(がくじへん)から始まるように、15歳で学問を志した彼は生涯を通して学ぶ人でした。若くして世の辛酸を味わった苦労人でしたので、その教えには厳しい態度・表現のものも含まれています。
後半生もほとんど亡命・流浪の生活であり、世間的に見れば、社会的失敗者にほかありませんでした。しかし、このような貧窮・孤独・不遇・逆境の人生が、孔子を偉大な聖人にまで成長させたとも考えられます。
「人間は、現に生きている現実の中で、時代に沿い、あるいは時代に抗してつねに学ばねばならない。変化変遷する時代のなかで、己の信ずる生き方を貫くこと。日々、勉強し自己研鑽して向上を図り、人生のよき友、真実の友を得て人生の貴重な時間を共有する。つねに全力を出しきることに心を尽くして、名声、出世立身といった現世価値や周囲の評価を自尊心の支えにしない。学ぶことによって、不遇・逆境もまた甘受すべき運命であることを知り、自足の境地に安んじることにある」
孔子『論語』学而編、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳
私自身は、自己修養における基本的指針として、孔子の教えを参考としています。個人的に詳しく学んだ、王陽明の『到良知』や『知行合一』という哲学は、元を辿りますと、孔子を祖とする儒教の流れから派生的に生まれたものです。
孔子や弟子の孟子が説いた『五常の徳(仁・義・礼・智・信)』が基となり、日本では次の八徳が生まれました。『五常の徳』は、時代を超えた普遍の教えと思います。
八徳:
- 『仁』人を思いやり、慈しむこと
- 『義』道を違わず人の道理にかなうこと
- 『礼』社会に秩序を与える礼儀・礼節を重んじること
- 『智』物事を知り、人や物事の善悪について正しい判断ができること
- 『信』真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを誠実に果たすこと
- 『忠』真心をもって仕える心の大切さを説く(忠実・忠誠)
- 『孝』親や先祖を大切にする心の大切さを説く(孝行)
- 『悌』目上や年長者に対する従順な心の大切さを説く(悌順、ていじゅん)
東洋で彼に匹敵する思想家は他に仏教の釈迦がいますが、その流れを組む禅の教えは、儒教の流れを組む王陽明の哲学と似ています。そして西洋では、エマソンの『自己信頼』の思想が陽明の『到良知』とそっくりです。また、性善説の哲人たる古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは、そこに性悪説に基づく哲学(人間関係における摩擦を避けず、正直に対応する姿勢)を加えると、孔子の思想に近づきます。
つまり、私においては「すべての道は孔子に通ず」と言えない事もありません。
「それでは、孔子の教えだけ学べば十分では?」と思われるかもしれませんが、部分的には他の哲学者・宗教者の教えの方がしっくりくる場合もありました。個人の学び・成長においては、人それぞれでたどるべき段階・道筋があるのだと思います。
陰陽の考え方で自分自身を例えてみますと、生来陰の属性が強く、陽の力が乏しかったので、生きる活力を生み出す、王陽明やニーチェの哲学(例えば『力への意志』)を優先的に学ぶ必要があったのだと考えています。
論語の最後は、以下のように結ばれています。
「孔子は言う。万物の創造者である天が各人に下した『天命』の意味を理解し、これに案ずることができないものは、君子とは言えない。人間が築き培ってきた歴史的伝統や人間社会における取り決め事・約束事である『礼』というものが理解できなければ、世の中で生きていくことはできない。文明の累積・象徴である『哲学や思想』といったものを知らなければ、自分はもちろん、社会や人間一般のことを理解できるはずがない」
孔子『論語』最終章、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳
6.渋沢栄一:孔子の教えをビジネスで実践した日本実業界の祖
最後の六人目は、数多くの会社設立に携わり、『日本株式会社を作った男』とも言われる渋沢栄一です。彼は人生の書として、先ほどご紹介した孔子の『論語』を座右に置き、その経営哲学を『論語と算盤(そろばん)』という言葉で表現していたそうです。
渋沢の経営哲学は、倫理道徳と経済活動の一致、つまり全ての事業・ビジネスは必ず倫理道徳を根本とし、公益を念頭に置かなければ、そこに本当の繁栄はないという事を説いています。
私は彼の経営哲学を最近になって知りましたが、まさしくその通りだと思います。利潤の追求のみで、倫理道徳や公益という概念が少しずつ忘れ去られていったからこそ、1980年代後半から1990年代前半にかけてバブル経済が生まれ、そしてそれが弾けて、今は経済的にも文化的にも、日本は衰退の一途を辿っているのかなと感じます。
「如何に仁義道徳が美徳であっても、生産殖利を離れては、真の仁義道徳ではない。生産殖利もまた仁義道徳に基づかざれば、決して永続するものではない。……わが心に安心立命(あんじんりゅうめい)を得て、総じて、外物を頼まず、身に仁義道徳を行いて、国家社会を益し、その間に哲理を講じ、文学を玩味し、歴史を評論するだけの知識を持ち、而して経済の事に十分通暁している者でなければ、真正の実業家とはいわれない」
渋沢栄一『青淵先生訓言集』より