宗教・哲学を学ぶのは30歳を過ぎてからがお勧め-若い時には己の生命力で何とかする
皆さま、こんにちは
前回の記事では、新たな事に興味を持って学び・挑戦する事の重要性を論じました。しかし、最近プライベートで体験した事を通して、必ずしもそうではないケースがあると気づきました。特に、宗教や哲学に関しては説明が必要と感じましたので、追記したいと思います。
本ホームページの『その他』カテゴリーをすでにご覧いただいた方であればお気づきになられたと思うのですが、私は信念を持ってコンサルティングを行っています。戦いの方略をアドバイスする戦略コンサルタントと名乗っている以上、当然の事です。しかし、それゆえにちょっと独特に見えるのは、自分でも十分自覚しております。
価値観や生き方が大きく変わり、現在の私になったのは、30歳を超えてからのお話です。最初からこうだったわけではありません。10代・20代でいろいろな経験をし、それまでの悩み多き人生に行き詰まりを感じていたのが原因となります。さらに、ちょうどその頃東日本大震災が起きてしまったため、それが変化への決定的なきっかけとなりました。
地震や津波で沢山の人が亡くなり、生きるとは何なのか、死ぬとはどういう事なのか、私はどうあるべきなのか、自分で明確な答えを見出さなければならないほど、当時は精神的に追い詰められていたと思います。
そのような経緯があって、一時期哲学や宗教系の書物をかき集めて、必死に勉強しておりました。ですから、私はそれらの重要性を十分に理解していますし、基本的には柔軟で寛容な方です。
ただ、最近の出来事となりますが、たまたまあるマイナーな宗教を長年信じている方々に(こちらが望んだわけではありませんが)お会いする機会があったので、いろいろお話を伺いました。
よく政治や宗教関係のお話は、公でしない方が良いと言われていますが、私の場合、ホームページ上でたまに言及しています。なぜかと言えば、戦略を論じる上で時に避けては通れないからです。信念の無い八方美人な態度では戦略家として失格ですので、(人を傷つけるような事がない限り)自分のスタンスは可能な限り明確にしたいと考えています。
1.他人の価値観(信念など)を根本的に否定する教えは間違っている
まず、私は基本的に世の中にはいろいろな考え方がある、と思って生きているので、正しいとか間違っているとはっきり人前で言うのは珍しいです。
しかし、そうは言いましても、さすがに人が大事にしている価値観・生き方を根本的に否定するような教え・言動をされますと、それらは間違っていると言わざるを得ません。争いの火種になるからです。
実際、私たちが先日信者の方々とお会いした際、○○の宗教(教え)を信じないと「地獄に落ちる」と面と向かって言われました。その時は、最初冗談を言っているのかと思ったのですが、本人たちは心底それを信じているようだったので、なぜそう考えるのかが気になり、さらに質問をしてみました。でも、結局は納得できるようなお答えがいただけませんでした。
少々では動じないので、自分は平気でしたが、さすがに一緒にいた家族は長年信じていたものを根本的に否定されてしまったため、ショックだったようです。不快感を覚えるのも無理はありません。
何を信じるのも勝手ですし、出来るだけ相手の価値観は尊重したいと思いますけれど、他人が大事にしている生き方を、何の論理的根拠も無く悪と決めつけるのはまずいですね。詳しくは話せませんが、人の幸福を論じる資格は無いとその時思いました。
2.10代や20代の若いうちは、自らの生命力で生き抜くように努力する
ただ、彼らにも何か事情があるのかもしれないと思ったので、なぜそこまで熱心な信者になったのか、その動機が知りたくてさらに聞いてみました。
神にすがらないと救いが無かったのだろうと、少し同情し始めていたのですが、お話を聞くと、単に学生の頃に勧誘されて良い事があったからだそうです。
実際にご利益があったのか、思い込みだったのかは知りようがありませんが、テレビでしか見た事の無かった『洗脳』というのは、あんな感じなのだろうか、とふと頭によぎりました。
このような体験から、私は一つの確信を得ました。
それは、10代や20代の若者に対しては、どのような宗教団体であれ、一切自分たちから勧誘をしてはいけないという事です。
若い内は生命力もありますから、大抵の悩みは自分が持っているエネルギー(元気)で何とか乗り切れます。それが、多くの場合は正解です。
しかし、中には深く思いつめて、生死を考えるまで心身追い込まれる人がいるのも分かります。そういう人はまず、自分の意志で宗教や哲学をリサーチしたり、学んだりするのが良いと思います。
実践者の一人として言える事は、宗教・哲学は基本的に薬と考えてください。薬という事は、別の見方をすれば毒にもなりえるという事です。本来は悩んでいる人・絶望している人に処方するものであって、回復・改善するまでは、薬を飲み続けた方が良いのは間違いありません。
それで一旦症状が良くなれば、それ以上の服用は害となる可能性もあるので、量を減らすか、止めておきます。このように考えますと、大半の健全な人々にとってはあまり必要のないものと言えるかもしれません。(ただし、この世の中で心身が健全で満たされた人はどれだけいるのでしょうか?)
参考までに私の事例を話しますと、悩んでいた頃は必死に毎日哲学を勉強していました。しかし、一旦自分の道を見つけた後は、ほとんど本を開いていません。読む必要が無くなったからです。例えば、一度自転車に乗れるようになれば、やり方は体が覚えています。それと同じような感覚でしょうか。勉強するのは必要になった時で十分です。
3.お年寄りがターゲットにされないような社会的保護が必要
次に、お年寄りは宗教の勧誘をいろんな意味で受けやすいので、本当に気を付ける必要があります。
周りに信用できる親族などいれば、客観的意見も聞けて良いのですが、特に独居老人の場合は、孤独な状況下で精神が不安定となりやすいので、何らかの社会的保護が必要と思います。
単に勧誘をストップさせればそれで解決するという問題ではないので、具体的にどのような形が良いのか、私自身はまだ答えが出せていません。
4.宗教・哲学は30歳を過ぎてから、自らの意志で学ぶのが安全
ここでは、自分のこれまでの人生経験に基づいて、今の段階で導き出せる結論を書きます。
それは、宗教や哲学に興味を持ち始めるのは、人生経験・社会経験をある程度経て、多くの人が自分の生き方を見直しはじめる30歳を過ぎた頃が丁度良いのかな、という事です。
孔子も論語の中で「子曰はく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず」と言っています。
その孔子の教えを参考にすれば、30歳頃から哲学や宗教を学び始めるのは、自己のアイデンティティを確立するためにも丁度良い時期と考えられます。一部の例外を除き、ほとんどの人は10代や20代の若さで自分が何者かを知る事は出来ません。それが自然の事ですし、別に恥じる必要はありません。逆に多く悩んだ方が、人生の理解も深まります。
一部の例外とは、例えば北越の英雄と言われた河井継之助のような人物です。彼は17歳で鶏を割いて王陽明を祭り、経世済民への立志を誓いました。10代の若さで、(西郷隆盛や高杉晋作も学んだ)陽明の教えを自らの意志で学んだのです。ただし、彼は並外れた人物であった事を理解しておく必要があります。私を含めほとんどの人は、彼の生き方を真似すると碌な事にはならないでしょう。
5.まとめ
今回は以上となります。
前回の記事では、興味を持って学び・挑戦する事の重要性を論じたわけですが、最近の個人的出来事から、逆に悪い結果に繋がるケースもあると分かりましたので、当初の予定を変更して書くことにいたしました。
元々感受性が鋭く、子供の頃から悩みやすい性格ではありましたが、そこに社会的経験が加わり、さらに東日本大震災がトリガーとなって、自分という人間を根本から見つめ直す機会が、2011年から数年間ありました。
ちなみに、漸コンサルティングのロゴにある鳥は不死鳥フェニックスです。復活や生まれ変わりを表現しています。
その後1~2年間は、仕事をせずに様々な宗教や哲学に関する書籍を集め、毎日読みふけり、畑を借りて自給自足農業をしながら、答えが見つかるまで心と体の両面で独学しておりました。
ですから、自分は宗教や哲学に関しては、結構寛容的で理解がある方だと思います。
しかし、とある宗教を信じる方々とお会いし、お話した結果、何事も挑戦すれば良いという訳でもないと気づきましたので、本記事を書こうと思った次第です。
どんな教えを信じても良いとは思うのですが、少なくとも、他人を不快にするような行為や言動は強く慎むべきです。死後の世界で天国に行けるかどうかを気にする前に、まずは信者かどうかに関係なく、現実世界で皆が幸福になる方法を考えるべきではないでしょうか?
世の中には本当にいろんな人たちがいるのだと、改めて認識する事となりました。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
戦略コンサルタント
味水 隆廣