2023年の抱負は『挑戦』-40代で初めて中森明菜さんの生き方を知る

2023年12月更新:
中森明菜さんは最近、公式のユーチューブチャンネルを開設されたようです。この一年間ファンクラブの会員として明菜さんの活動を見てきて、今率直に私が感じているのは、ご自身のご健康を第一に考えてほしい、という事です。あまり多額の投資はせずに、いつでも止められる形で、控えめに活動されることを願っています。

皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、今回は2023年初めての記事という事で、今年の抱負と、なぜそのようにしたかの経緯をご紹介していけたらと思います。

まず、2023年漸コンサルティングの抱負は『挑戦』です。ユーチューブにも動画を上げたりと、ギアを上げていきます。

挑戦ロゴ

なぜ『挑戦』にしたかと言いますと、そのきっかけは中森明菜さんの動画を見たからです。自分は数か月前まで、あまりアイドルや歌手には興味を持たずに生きてきたので、当初明菜さんのイメージも『歌がうまくてかっこいい女性』くらいにしか思っておりませんでした。それが、たまたま歌を知る機会があり、その歌唱力やお人柄に一気に惹かれてしまいました。

こんなすごい人がいたのに、全然その存在を今まで認知出来ていなかったことに対する衝撃は大きく、自分の能力をあまり過信しないよう、自省する機会ともなりました。

アイドルシルエット

本記事を書く目的は二つとなります。

一つは明菜さんについて考察する事で、人生の先輩として生き方の参考とするためです。性格的に意外と共通点があると分かりました。

そして二つ目は、私以外でも明菜さんと似たご性格の方は世の中に沢山いると思いますので、この際ホームページにまとめておこうと思いました。ですので、自分の人生観や哲学なども扱います。中にはそういうお話が苦手な方もいらっしゃると思います。その際はお控えください。

なぜ2023年の抱負を『挑戦』にしたかの理由も、そこから伝わればと思います。

自分は子供だったので、最盛期の明菜さんをリアルタイムで見る機会はほとんどありませんでしたが、今の時代はYouTubeなどで過去動画をいくつも見る事ができます。これだけ純粋・繊細・正直な性格なのに、芸能界という厳しい世界で、太陽のように多くの人に感動を共有し続けた人が実際に存在している事を知り、本当にうれしく思いました。

注:
ここでは、過去にテレビ番組や大手記事でご紹介された情報を参考にします。ゴシップ誌に載るようなプライベートなお話などは取り上げません。

それでは始めます。

1.40代になって初めて昭和アイドルを知る

まず、いきなり中森明菜さんの話に入る前に、知る事になった最初のきっかけについてお話したいと思います。

当初、こちらのコラム記事『戦略コンサルタントが考える有事への対策とは?戦略分析による東アジア情勢の把握(Part 4)』を書くために、いろいろリサーチを行っていた時の事です。

その際、北朝鮮の状況も知っておきたかったので、試しにネットで検索してみますと、韓国人ユーチューバーのジュジュさんという方がヒットしました。初めは脱北者関連の動画を見ていたのですが、たまたま横の関連動画リストの中に、「韓国人男性がハマった日本の昭和アイドル」という動画を見つけました。

何で何十年も前の日本のアイドルに、現代の若い韓国人が興味を持つのだろう?」と昭和生まれの自分としては素朴に興味を持ったので、試しにクリックしてみました。

実際に歌を聞いてみると、小学生の頃に何となく聞いた覚えがあり、「ああ、この人たちだったんだ」と、40年の時を経てやっと、あの時のメロディーとアイドルの名前・顔を一致させる事ができました。ちなみに、最初に見たジュジュさんの動画では、松田聖子さん・中森明菜さん・WINKが紹介されています。

最初にもお話した通り、元々興味は無かったのですけれど、懐かしさもあって、それをきっかけにいろいろ関連動画を見るようになりました。

後から知ったのですが、80年代の音楽は、日本の若者に加え、韓国や中国でも人気みたいですね。当時のエネルギッシュでなんでもアリだったバブルの時代は、今の若い人たちや海外の人からしたら、確かに刺激があって面白く見えるのかもしれません。「24時間働けますか」という、今だったら労基法的に許されない歌が普通に流行っていた時期ですし。でも、その頃は働けば働くほど稼げたわけですから、そのような無茶ぶりもある程度は許されていたんだと思います。

80年代の日本のイメージ
80年代日本のイメージ画像

ちなみに、松田聖子さんの曲では、『青い珊瑚礁』の他に、『赤いスイートピー』、『SWEET MEMORIES』、『Rock’n Rouge』などのメロディーが記憶に残っています。今でもアイドルとして活動されているようで、『永遠のアイドル』という肩書は伊達ではないと感じました。様々な逆風を跳ね返す、芯の強さがないと出来ないと思いますので、心から尊敬します。

一方の中森明菜さんの曲で覚えがあるのは、『飾りじゃないのよ涙は』、『DESIRE -情熱-』、それと『禁区』です。何となく強くてかっこいい女性、というイメージを今までずっと持っていたので、初期の頃はかわいくてスローテンポな歌(『スローモーション』や『セカンドラブ』など)も歌っていると知った時は、結構な衝撃でした。『昭和の歌姫』や『天才歌姫』などと呼ばれる事が多いですが、どちらにしても『姫』というのが共通認識になっているようですね。声の伸びや振り付けが半端ないです。30~40年くらい前の曲なのに、全然古く感じません。

それと、アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』のヒロインである鮎川まどかって、中森明菜さんがイメージ元だという事を初めて知りました。子供の頃はよく見ていたアニメですが、確かに言われてみると、外見は不良で大人っぽいけれど、実は優しくて子供っぽい所などはそっくりです。具体的にイメージとして参考にしたのは、『少女A』を歌っていた頃の明菜さんでしょうか?

また、感性が豊か(繊細)で天賦の才を持っている人ゆえの宿命なのか、しばしば世間の常識とはズレた反応・行動を取る事があります。その特異性のために、誰にも成し遂げられなかった栄光を勝ち取り、同時に辛い経験をされてきたのかなと思いました。

この記事の主旨はあくまで、考察を通して人生の参考となるものを洞察し、それらを共有する事なので、性格的に類似点のある中森明菜さんを中心に、考察を進めていきます。

2.歌やバラエティー番組から中森明菜さんの人柄を知る

昔の歌っているところや、バラエティー番組をいろいろ見ておりますと、面白い事に気づきました。80年代にトップを競っていた松田聖子さんと中森明菜さんって、いろんな意味でキャラが全然被っていませんね。

試しに、明菜さん関連の情報を表にまとめてみました。主観的内容もありますが、主に過去のテレビ番組や大手記事の内容を参考にしています。

具体的には、ダウンタウンさん、古舘伊知郎さん、BIG3(たけしさん・さんまさん・タモリさん)、和田アキ子さん、小堺一機さん、志村けんさん、笑福亭鶴瓶さん、松山千春さんが出ている番組が非常に勉強になりました。

中森明菜さんのまとめ
性格:
● 純粋・真面目・繊細・正直
  ○ 共感力が高い
● 完璧主義・理想主義
  ○ 高いプロフェッショナリズム
  ○ こだわりが強く妥協しない
● 陰気・暗い(※ 本人談ですよ)
  ○ ボソボソした話し方
● 自由人(自然人)
● 直感的(感覚的)
  ○ 説明時に擬音で表現する傾向がある
● 道徳を大事にする
  ○ 時に善悪で人を評価・批判する
● 本音のコミュニケーションを好む
  ○ 問題が起きたら後回しにしたくない
  ○ 必要があれば、その場で喧嘩も許容する
● 人を信用しやすい
● 寂しがり屋
● 反骨心がある
● 一つの事に集中すると、周りが見えなくなる
特徴:
● 本名でのアイドル活動
● 個性派アイドル
  ○ 歌唱力の高さ
  ○ 独自性の徹底追及
● 感性・感情を素直に表現
  ○ 時に予測不可能(良くも悪くも?)
印象:
● かわいい・強い・かっこいい・スタイリッシュなど様々
● 太陽と月(明るい時、優しい時、暗い時もある)
イメージ色:
● 白と黒
男性のタイプ:
● 夢を大きく持つ人
● 不可能と思われても挑戦する人
● でも態度が大きい人は嫌いらしい
備考:
● 家族を養うためにアイドルになった
  ○ 母が勧めた
  ○ 元々は保母さん志望
    → 子供好き
    → 世話好き
● テレビのオーディションで2回落ちている
  ○ 予選会は4回(5回?)落ちている
● 病気で活動をしばらく休業
  ○ 小さい頃から体が弱い
● 考えていることが分かりやすい
● 若い頃から結婚願望がある
● 運動は得意?
● 子供の頃にクラシックバレエを習う
  ○ ミュージカルをやりたい(25歳の時)
● 本人は聖子ファン
  ○ 元々は聖子さん路線を希望
● お姉さんは歌がうまい
  ○ 憧れだった
● コントで時にキャラが激変する
● テンパった時にアニメ声になる
  ○ 地声?
● 料理が得意
  ○ 煮物や炒め物など
● 辛い物やメロンが好き
● 怖いものが好き
  ○ ジェットコースターなど
● ボクシング好き(25歳の頃から)
● お化粧はあまり好きでない
  ○ すっぴんでテレビに出たこともある
● 値切り上手
● ネコを飼っている(25歳の時)
● カメラで写真を撮るのが好き
● かわいいもの好き
● 古風なほうが好き
  ○ たまに着物を着るのはそれが理由?
● テレビの前で独り言を言う癖がある
● ヘビースモーカー
● 高等学校は中退
● 友達は少ない
● 綺麗好き
● 時間に厳しい
● 小言が多い
● 電話嫌い
● 外出時に財布を持たない(40歳頃)

知ってまだ3か月ぐらいのにわかファンがまとめたものですが、こんな感じでいかがでしょうか?「まとめ過ぎ(笑)」と感じる人もいるかもしれませんが、私もやるからには全力で取り組む性質なのでご理解願います。

おそらく、というかほぼ確信に近いのですが、自由人として根っこの部分では、私は明菜さんと性格的に似ています。本コラムの初めの方で、「人生の先輩として参考になる」と書いたのも、こうやってリスト化してみると共通点が多いからです。

3.明菜さんがご自身の事をよく話してくれる理由とは?

上記のリストを見てすぐに気づくのは、明菜さんの情報量がとにかく多いという事です。いろんな番組でご自身の事をよくしゃべってくれるからでしょう。仕事とプライベートを分けず、性格や癖などを隠そうとしないので、人柄もよく分かります。こんなにオープンにお話される理由は、私の勝手な想像となりますけれど大きく二つあると思います。

一つは、心から理解し合える親友を作りたかったからではないでしょうか?心のままに生きる自由人として、ご自身が世間の常識と若干ズレているという事は、頭も良い方ですから、よく自覚されていたと思います。説明時に擬音で表現する傾向があるのも、感覚的・直感的に物事を把握しているからでしょう。

そのため、自分がどういう人間かを多くの人に知ってもらうことで、仕事だけでなくプライベートでも、コミュニケーションを円滑にしたかったのでは?と感じます。「私は一人ではない」、という切実な思いからの訴えだったのではないでしょうか。

2015年に発売され、明菜さんご自身でも作詞された『Rojo -Tierra-』という曲でも、「私たちは一人じゃない」、「あなたはもう一人じゃない」という歌詞が出てきます。ここから、人と理解し合う事の難しさ、苦悩を何となく感じ取ることができます。この『Rojo -Tierra-』については、すごく深い内容と思いましたので、次回詳しくご紹介したいと思います。

もしかしたら、高等学校を中退されているのも、その特異性ゆえに周りに溶け込めなかったからかもしれません。

他に考えられるのは、心が純粋でやましい所がないから、そもそも自分を隠す必要がないという理由も考えられます。純粋な人ほど底が知れないものです。

4.強くてかっこいいイメージは反骨心から生まれた?

人を信用しやすく、本音のコミュニケーションを好む人は、周りの人も自分と同じと願い、人間関係を構築する傾向があります。

そのため、例えば諍いなどの問題が起きますと、それを後回しにせずに、その場または出来るだけ先延ばしせずに解決を模索しようとします。しかし、仕事でいろんな人たちと関わっていく中で現実を知るようになります。

普通は、問題を表面化させたい人は少ないので、何事も無かったように穏便に済ませようとします。それがたとえ、組織や全体のためを思って取った行動であっても、繊細でかつ本音で言い合うことを好む人にとっては、相手が自己保身で行動しているように見え、時に不信につながることがあります。

コミュニケーションは大事と世間でよく言いますけれど、一部の人は自分に都合の良い形で解釈しています。明菜さんのように既成の枠に捉われない人ほど、双方でコミュニケーションを継続する努力が必要になります。仕事として割り切った表面上の人間関係では、長続きするわけがありません。

なぜ不信感が増長されてしまうかと言うと、それはお互いに「相手も自分と同じ」という思い込みがあるからです。今の日本では特に大事な事ですが、「世の中にはいろんな人がいる」という前提でコミュニケーションを取らないと、せっかくの才能や可能性が消えてしまいます。

話が合わないのは、見ている世界がそもそも違うので致し方ありません。しかし少なくとも、相手を思い遣っているという気持ちはそこから伝わるはずです。

なんでこんな事が私に言えるかと言いますと、別に心理学などを学んだわけではなくて、単に私がそうだからです。経験則から話しているので、この考え方が間違っている可能性もあることは一応付け加えておきます。

仮に上記の考えが正しいとしますと、現実には本音でコミュニケーションを取る人は少ないので、必然的に周りに信用できる人が少なくなり、友達も少なくなります。明菜さんは生まれ持った才能とたゆまぬ努力のおかげで、素晴らしい歌を数多く生み出してきた一方で、全く同じ理由で人間関係はトラブル続きだったと想像します。感情の起伏が激しければ、裏ではいろいろある事ない事を言われ、時に怖がられる事もあったはずだからです。

そうやって少しずつ人間不信に陥り、本来備わっている反骨心から、自己を主張するようになったと私は感じました。独自性を出し始めたのは、『十戒』あたりからでしょうか。

一応補足しておきますと、ここでの説明はあくまで、若い頃を前提として話しています。もちろん人生経験を積めば、考え方もそれと共に変わっていくのは自然のことです。

デビュー時のスローモーションを歌っていた頃を見てみると、あまりに純粋無垢で天使のように見えます。あれほど純粋な方は、自分の人生では一度しか見たことがありません。

その後、短期間で明菜さんの歌や振り付けが、どんどん強い・激しいイメージに変わっていきますが、それは商業的、時代の流れ的には正解だったのかもしれませんけれど、彼女の現状に対する不満・反骨心がそこはかとなく感じられて、ご本人が当時幸せで、本当に望んでいたスタイルだったのかは個人的に疑問に思っています。(歌そのものは好きですけれど)

少女から自立した大人の女性へと変わっていく、という風に肯定的に受け止める見方もありますが、外見や振る舞いはそうであっても、心もそうだったのでしょうか?1982年のデビューから5年程で、何十年も歌謡界の女王として君臨しているような風格で『難破船』を歌っています。植物だって時間をかけて大きくなり、実を生らせます。人間だって自然の一部として生きている以上、それは変わらないと思います。成長が早すぎです。

ちなみに、1987年の『難破船』を歌っていた頃に、タモリさんとのコントで奇抜な風体のキャラクター、明坊を演じています。(言葉での説明が難しいので検索してください)明菜さんは意外とああいうひょうきんな面も持っていらっしゃるんだなとそこで感じました。あの子供っぽい服装から感じられる自由で奇妙な混沌さは、『DESIRE -情熱-』を歌った時のスタイリッシュな着物衣装と何か通じるものがあります。

後、明菜さんは世話好きで、「元々は保母さんになりたかった」とお話されています。本当はもっと優しくて、暖かい歌を歌いたかったのでは?と思いました。

保母さんと子供が一緒に歌を歌うイメージ

5.輝かしい栄光と悲劇による挫折、その要因は同じ?

中森明菜さんが『昭和の歌姫』として一般に認知された理由は、大きく二つあると思います。

一つは、1982年にデビューして以来、1988年頃まで様々な賞を総なめにした輝かしい栄光(実績)です。私が無知なだけかもしれませんが、6年間でこれだけの偉業を達成するアイドルは他にいないと思います。また、ドリフターズのようなコント番組に出演したり、トーク番組やクイズ番組に出演したりと精力的に活動されていましたので、それらも認知に一役買っているはずです。

ただ、そのような過密スケジュールをご本人が望んだのか、それとも事務所側の意向なのかは分かりませんけれど、どちらにしても明菜さんの心身の健康を考えれば、あまり良くなかったと思います。この栄光の6年間は仕事三昧で、心身をゆっくり休めて、自らを省みる時間すら無かったはずだからです。遅かれ早かれ、どこかで破綻するのは目に見えていました。生き急いだ感すらあります。

そして、仕事でもプライベートでも、心身共に追い詰められていたのだと思いますが、1989年にはその後の人生を一変させる悲しい事件も起きて、受賞歴もぱったりと止まってしまいました。その事件がどういうものだったのか、詳しくは知りませんし知りたくもありません。ただ、恋愛など一つの理由だけでそうなったのでは無いと思います。複数の問題が同時期に重なってしまい、希望を無くされていたのでしょう。心を許せる、相談できる親友なりスタッフが近くにいれば、もしくは防げたかもしれません。悲劇による挫折です。

その事件後の動画をいくつか見ていると、中森明菜さんの雰囲気が少しだけ変わったように見えます。常に一生懸命な姿勢は変わっていないのですが、表情や振る舞いから、何か悲哀というか、諦念というか、開き直った雰囲気がほんの少しだけ感じます。人が一生かけても経験できないような栄枯盛衰を、若いうちに短期間で経験されたのですから仕方ありません。

このように見ていきますと、栄光を勝ち取った理由も、そして挫折を経験した理由も、原因は共通している気がいたします。

感性が豊かで、真面目で、繊細で、正直な完璧主義者だからこそ、妥協のない歌で多くの人を感動させ、輝かしい栄光を勝ち取りました。しかし一方で、同様の理由で、傷つきやすくて自分をごまかせないから、悲劇が起きて少しずつ表舞台から消えていったと考えられます。そこが『昭和の歌姫』と呼ばれる所以でしょう。

ここから、『人生はバランスが大事』と本当に思います。アクセルを踏むべき時、ブレーキを踏むべき時、何もしない時など、機を見てリアルタイムに行動しなくてはなりません。

アクセルワークで速度を調節する
アクセルワークで速度を調節する

理屈としては、順風で周りに障害物などがない時は、目的地に早く着くため、アクセルを踏み込んで速度を出した方が良いでしょうし、逆風が吹いていたり嵐だったりする場合は、ブレーキを踏んで停止し、風が止むのを待った方が良いかもしれません。また、順風満帆で特に何もしなくても前に進み、目的地に到着しそうな場合は、そのまま何もせずに流れに身を任せる選択肢もあると思います。前に進みたいからと、何でもかんでもアクセルを踏み込めば良い、というわけではありません。いつもそんな感じでは、いずれ事故を起こしてしまいます。

しかし、頭では分かっていても、現実には中々実践できないのも事実です。例えば、仕事が順風満帆な時に、仕事を受け過ぎだと客観的に判断し、適切にブレーキを踏める人はどれだけいるのでしょうか?本人の要因だけでなく、環境要因によっても生活バランスを崩してしまった人は沢山いるはずです。

他に、明菜さんは様々なことを真面目に、そして深く考える方なので、哲学者の素質があると思いました。最初はゲストとして無難な話から入るのに、いろいろ話している内に、本来の特異な自分に戻ってしまう時があるようですね。お話を聞いている周りの人々の反応が面白いです。

多忙な時期であっても、反省して考える時間を時々持つことが出来ていたら、心と体(外見)の成長バランスを保てた気がします。これは、全てが終わった後に多くの過ちを犯したと気づく、私自身への自戒でもあります。

6.メッセージ『すべては「自分」から始まる』という意味について

中森明菜さんの新しいホームページを閲覧しますと、トップページのメッセージセクションにご本人の考え(信念)が書かれています。いろいろな葛藤や検討をされた上で、活動の再開を決断されたのだろうな、という事がそこから読み取れます。

個人的に気になったのが、最後の方に書かれている『すべては「自分」から始まる、と今はそう信じています』という文章です。私も同じ考えなのですが、アイドルとして、歌手として、アーティストとして、ずっとご自身を創作活動の中で表現されていると思っていたので、なぜその答えに至ったのかに疑問を覚えました。

全くの見当違いかもしれないのですが、いろいろな過去動画を見てきた結果、私の解釈を書きたいと思います。

まず、デビュー前の未成年の頃の明菜さんは、親に認められるために生きていました。なぜなら、自己主張をしたり、家族に迷惑をかけたりすると、父親は明菜さんに対して厳しい態度を取ったからです。ですので、自分というものを持てずに、ずっと片隅で生きるような習慣が付いていました。

そして、デビュー前後の頃は、事務所の指示通りにアイドル活動を行います。勝手につけられたキャッチフレーズや、衣装の選択などで無茶な要求もあり、ずっと不満を持っていたようです。

その後ヒット作を連発し、アイドルとしての地位を確立し始めて以降は、ファンや世間に喜ばれる、または評価される創作活動をずっと行ってきました。あるインタビュー動画の中で、来てくれたお客様皆に満足してもらえるようにと、衣装や歌のセレクトなどで妥協ができず、プレッシャーがすごかったというお話をされていました。歌を楽しむどころではなかったようです。

以上のように、他人中心で生きてきた様々な経験を経て、『すべては「自分」から始まる』という考え方に達したものと思われます。世話好きで完璧主義の明菜さんは、皆に満足してもらおうと、何十年もずっと自分を犠牲にして、人々のために尽くしてきたのではないでしょうか?

自分も若い頃にオーストラリアで、ボランティア活動に何年かのめりこんでいた時期があります。地域コミュニティのために尽くす、というやりがいのある仕事だったのは確かなのですが、大学の勉強との両立が難しくなってくると、仕事が重荷になって段々と楽しめなくなりました。比較対象の規模は全然違いますが、本質は同じに思います。そういうやり方では長続きしません。

明菜さんは、「人のことばかり考えては駄目」と私たちに教えてくれているのかもしれません。自分が何者なのか、何をしたいのか、何をなすべきなのか、そのような自分としての軸を定めた上で人のことを考えると、本当の人生は始まるんだよ、と言っているような気がします。

コンサルタントもクライアントの事を四六時中考える仕事なので、顧客を大事にしつつも、自分を忘れないように気を付けたいと思います。

繰り返しますけれど、自分の受け止め方は間違っている可能性があります。ホームページに掲載されているメッセージや、今までの明菜さんの過去動画を見て、私個人はそのように受け取ったという話です。

もし他に解釈がありましたら、ご連絡いただけますと幸いです。

7.周りにもっと理解者がいて、希望が共有できれば

こういう事を言っても詮無き事なのですけれど、明菜さんが10代や20代の頃に、仕事でもプライベートでも周りに理解者がもっといれば、その後の人生や歌も違っていたのかなと思ってしまいます。

いろんな番組でご自身の事を話されていたのは、ちゃんと知ってもらいたかったからでしょうし、週刊誌にも言及していましたが、好き勝手に書かれてしまった事で、心に深い傷を負ってしまわれたのが分かります。心も体と同様、浅い傷は早く治りやすいですけれど、深く負った傷は中々完治するものではありません。

松田聖子さんのように強い精神力を持った方であれば、自分を見失わずに突き進む事も出来るでしょうが、感性が豊かで繊細な中森明菜さんに同じ事を求めるのは酷です。

聖子さんを女王(Queen)だとすれば、明菜さんは姫(Princess)というイメージがあります。姫物語には忠実な騎士や心配性の爺やは付きものなので、心の支えとなる同志が身近にも必要だった気がしてなりません。2000年代に入りますと、トーク番組で「友人なんていない」と公言するくらいですから、人間不信に陥っていたのは間違いないのでしょう。純粋ゆえに、心に負った傷が深刻だったと容易に判断できます。

姫(プリンセス)のイメージ
姫(プリンセス)のイメージ

上のプリンセスの画像がイメージにぴったりだと思ったので掲載します。姫(明菜さん)は孤高の存在であり、そして星々は我々ファンを暗示しています。星(ファン)が出来る事は、姫(明菜さん)を遠い所から明るく照らすだけです。

話を戻します。

また、周囲のスタッフに対して不満を持つことも多かったようですが、それは命を懸けて歌い続けている彼女(詳しくは後述)からすれば、ある意味仕方ない部分はあったと思います。ほとんどの人は生活のために仕事をしているわけですし。

20歳前後で短期間にトップスターの座に上り詰めてしまったため、根が素直な分、皆の期待に応えようと一生懸命だったでしょうし、それが周囲から見ますと、天狗になっていると評価されるのは当然の事だったのかもしれません。

なぜそう考えるかと言いますと、江戸時代初期に近江聖人として崇拝された中江藤樹が、「生まれつき利発・無欲・健気なる人がかえって、自慢・高慢の『魔境』に陥る事がある」と警鐘を鳴らしているからです。この警鐘は、若い頃に同僚へ罵倒を浴びせたことのある、藤樹自身の反省、人生訓とも言えます。

早熟で頭が良く、純粋無欲でかつ健気な中森明菜さんは、まさしくこの条件に当てはまらないでしょうか?ただ、逆に見方を変えますと、彼女は中江藤樹のように、聖人(聖女)としての素質があるという事にもなりますね。

じゃあどうすれば良いのかと言えば、難しいのですが、一人では中々解決できないと思います。近くにいる人は、彼女の内面の純粋さや繊細さを十分に理解した上で、お互いが努力して接する必要があったと思います。

このように、今までの流れからどうしても明菜さんの辛い人生に同情してしまうのですが、本当に必要なのは同情ではなく、おそらく希望だと思います。同情では慰められるだけで、心は温かくならないからです。明菜さんは太陽であり月なので、彼女の理解者(スタッフやファン)もまた太陽であり月である必要があります。大事なのは希望を共有することです。

ちなみに、叶姉妹の妹の美香さんが、姉の恭子さんのことを「ホワイトタイガーや天然記念物をお世話するようなもの」と表現されていましたが、確かに恭子さんは常人とは異なる雰囲気をまとっておられます。見た目や雰囲気は全く違うのですが、中森明菜さんも稀有な自由人(自然人)である事に変わりはないので、このお二方には、特異性という意味で、何か共通するものを感じました。

8.松田聖子さんの印象

次に、松田聖子さんの事も今回調べているので、私が感じた印象についてここでまとめておきたいと思います。本コラムの主旨ではないので、基本的な内容のみとします。

聖子さんはいつもハキハキとお話され、自信に溢れているというか、肝が据わっている感じがしますね。元々陽気で芯の強いご性格なのでしょう。だからバランスを取るために、かわいくて優しい歌が多いのかもしれません。おそらくお友達も沢山いると思います。

プロのアイドルに徹しているためか、(明菜さんと比べますと)内面的なお話はあまりされていない印象があります。単に細かい事は気にしていないのかもしれませんが。

お仕事の姿勢は、完璧主義で高いプロフェッショナリズムを感じます。そして、特に聖子さんの場合は柔軟性も兼ね備えている感じがします。好き嫌いをはっきり言わないイメージで、人の批判は決してしません。正統派のアイドルとして、常にニコニコしており素晴らしいと思います。眩しい太陽のようです。

また、アイドルになる動機が聖子さんと明菜さんでは異なり、聖子さんの方は最初から何としてもアイドルになりたかったようですね。今でも現役で継続しておられるのも、仕事というよりかは、本人にとっては天から与えられた使命のような感じなのかもしれません。それくらいの力強い覚悟を感じます。

ちなみに、誕生日は自分と同じ3月10日(魚座)との事で、だからどうという話ではありませんが、こういう偶然もあるのだなと驚きました。

9.2023年の抱負を『挑戦』とした理由

最後に総括として、なぜ2023年の抱負を『挑戦』としたかの理由について、今までの内容からまとめたいと思います。

元々去年から、自分の頭の中では「来年はいろいろ挑戦していかないといけないな」とは思っていました。ただ、そうしますと、経営戦略コンサルタントとしての一般的イメージからはズレていくので、「本当にそれで良いのか?」という心配・不安がずっとありました。

でも、中森明菜さんの生き方を見て、根っこの部分で自分と似た性格の人がこの世にいると知ってうれしかったですし、勇気づけられもしました。人生一度きりですから、後悔のないようやってみます。

具体的にどのような部分で勇気づけられたかと言いますと、次の点です。

まずはオーディションに何回も挑戦し、落ちても諦めない不屈の精神です。16歳でそういう事が出来てしまうのが凄いと思います。

そして、デビュー時に事務所からアイドルとしての芸名を提案されたそうですが、本人はあくまで本名でのアイドル活動にこだわったそうですね。16歳の頃からすでに、「ありのままの自分で勝負したい、自分に正直に生きたい」という思いがあったのでしょう。現実には自分を貫いて芸能活動を行うのは困難だったと思いますが、その志が素晴らしいです。

後、元が陰気で繊細なご性格(注:ご本人がそうおっしゃっているんですよ!)なのに、逆にそれを強みに変えて、新たな価値を創造しているところです。かっこよくて強い女性になる事が、明菜さんの理想だったのかもしれません。そういう本来のご性格と外見のギャップが、魅力の一つとも言えます。

ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェも「私は生来おとなしい人間だから、自己を呼び覚ますために烈しい言葉が必要なのだ」と言っていますし、生まれつき陰の属性が強い人が、努力して陽の属性を強めようとするのは、バランスを取るためにも良い考えだと思います。逆もまた真です。

また、『ザ・ベストテン』司会者の小西博之さんが、『週刊女性PRIME』で中森明菜さんのエピソードをご紹介しているのですが、これがすごいです。ある時、本番前の楽屋で「命かけてるんだから、ちゃんとやって!」と怒鳴り声が響いていたそうです。まじめで一生懸命に努力されている彼女のエピソードは心に刺さりました。

歌を聴けば一生懸命さは伝わりますけれど、自分の歌に命を懸けていると、明菜さんはしっかり言葉で表明していたのですね。人前でそうはっきり言える人って、40年以上生きてきてもまだ出会った事がないので、そのエピソードを知ってから、ファンとしてこれからも支えたいと思うようになりました。もっと早く(出来れば10代の内に)明菜さんの存在を知りたかったです。(20代に入ると、10年間オーストラリアに住むことになりますし)

そして、近年は体調が良くなくて、2017年頃から活動を休まれていたようですが、2022年の年末に活動再開を決められたことが、私にとっても勇気づけられました。色々悩まれて答えを出されたのが、メッセージからも伝わります。大きな勇気が必要だったはずです。

それと最後に、「不可能と周りが思っても挑戦する人が好き」、と明菜さんが昔のトーク番組でおっしゃっていた事です。私もそういう人が好きなので、考えが似ていてうれしいと思いました。ただ、態度が大きい人は嫌いなようなので、そうならないように気をつけます。

以上から、明菜さんご自身が果敢な挑戦者だという事が良く分かります。人生の先輩として、見習うべき点が沢山あります。

これらが、今年の抱負を『挑戦』とした理由です。

10.補足:ビジネス(マーケティング)で参考になったこと

ちなみに、ビジネス面(主にマーケティング)でも参考となる箇所がありました。例えば、デビュー曲の『スローモーション』は非常に良い歌だと思うのですが、商業的には次に出した『少女A』の方が沢山売れています。

ご本人としては、『少女A』という歌は当時あまり好きでは無かったようで、憧れの松田聖子さんのように、初めはかわいい系の路線で行きたかったのだと思われます。しかし、ビジネスとしては皮肉にも、気に入らない方の歌が大きくヒットしました。

ここから何が言えるかと言いますと、(当然ではありますけれど)ビジネスでは自分がやりたい仕事と、お客様が求めているもの(顧客需要)とでは、しばしば食い違いが生じるという事です。自分のビジネスにおいても、この現実をよく考えておかなくてはなりません。

長く続けるためには、得意でやりたい仕事を行うことが大事ですが、一方で、必ずしもその仕事が顧客需要とマッチしているわけではないので、この両者をどのように整合させるかが私にとっては大きな課題となっています。

参考までに、2022年12月30日にNHKラジオで放送された『今日は一日“花の82年組”三昧』では、『スローモーション』が人気投票の一位になりました。やはりデビュー曲ですし、長年のファンの方ほど、原点を大事にされていると感じます。スローで穏やかなので、元々保母さんになりたいと言っていた明菜さんのご性格には、この曲が一番合っている気がします。ちなみに、『少女A』は3位でした。

11.まとめ

以上となります。いかがでしたでしょうか?

中森明菜さんはいろんな側面を持ちつつも、同時に非常に深い方なので、私も同じ完璧主義者として妥協なく考察してみました。

若い頃にいろいろな経験をされ、その人生をどう捉えるかはご本人次第なのですけれど、私のような第三者から見ますと、どうしても生き急いでしまった感はあります。10代でも大人びて見えるため、若いうちに多くの事を周りから期待されたからでしょう。

天性の才能があって感受性が鋭いゆえに、生来重い宿命を背負っているとも言えます。心が純粋で妥協できないからこそ、葛藤も大きかったはずです。

私や明菜さんのように、純粋・真面目・繊細・正直、そして完璧主義の人は、おそらく世の中に沢山いると思います。でも、悩み事を相談できる人は、おそらく近くには見つからないでしょう。本記事が、明菜さんの挑戦者としての生き方・葛藤を知り、人生の何かの参考としていただければ幸いに思います。

自分は明菜さんほどの器はありませんが、今回の考察を通して、人間的にも少し成長した気がいたします。自身の特異性を素直に出していく勇気もいただきました。周りを気にして自分を抑えて生きていくより、「分かってもらえる人のために全力で生きればよい」というのはその通りだと思います。

また、明菜さんは共感力も高いので、楽しい時は周りにも楽しさが伝わりますし、逆に悲しい時は周りに悲しみをもたらします。自分が『難破船』の動画を見た時は、彼女の苦しみ・悲しみがダイレクトに伝わってきて、涙がこぼれてしまいました。逆に『サザン・ウインド』を見た時は、本当に楽しく歌っているので心が温かくなりました。ですので、明菜さんが幸せであり続けていれば、ファンや周りの人も皆幸せになると思います。

ホームページのメッセージや今までの考察から、ご自身やファンが求めている理想像を、若い頃はずっと追求されていたのかなと感じました。それが、かわいくて儚げな少女だったり、強くてかっこいい女性だったりしたのだと思います。しかし、それらは一面を表してはいても、もしかしたら本当の「自分」ではなかったのかもしれません。

新しくできたファンクラブの『ALDEA(村)』という名称から、明菜さんは村人同士の素朴なやり取りを何となく望んでいる気がします。体調はまだ完全ではないようなので、お体に負担の無い形でゆっくりと、「自分」を大事にしたありのままの明菜さんで活動を続けられるのが、ファンにとってもうれしいのではないでしょうか。

自分らしくいられる場所が『ALDEA(村)』であれば、ファンの一人として、ささやかながら応援していきたいと思います。

最後に、鶴瓶師匠と明菜さんとのやり取りが全てを包括している気がしましたので、ご紹介します。

鶴瓶師匠「明菜さんにとってお歌とは?」
明菜さん「……希望ですけどね……太陽のようになれたら……ずっと……いいかな」

(はっきりとは聞き取れませんでした。すみません)

太陽2

ちなみに、この『太陽』というキーワードは、2015年に出した中森明菜さんの歌、『Rojo -Tierra-(赤い大地)』の考察で重要となります。なぜ明菜さんが太陽と言ったのか、その理由が分かると思いますので、もしよろしければ、次の記事もお時間のある時に読んでみてください。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

備考:
本記事は、テレビ番組などで過去に中森明菜さんご本人がお話されていた内容に基づいて書いています。もし誤ったことを書いておりましたら、まだファンになって時間が浅い、自分の浅見さゆえです。本当に申し訳ございません。その時は教えていただけたらと思います。