2024年の抱負は『漸的覚醒』-田原俊彦さんの波乱万丈な人生から学んだこと

皆さま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年初めの記事として、2024年の抱負について書きたいと思います。

去年はいろいろな試行錯誤をした年でした。そのため、学んだ事も多かったのですけれど、反省点もありました。今年はそれら反省点も踏まえた上で、抱負を設定したいと思います。

前回の記事『永遠のアイドル、松田聖子さんと田原俊彦さんをよく知らない人のためにお勧めコンテンツをご紹介』を執筆する際、いろいろなリサーチ・検証を行いました。

その過程で、田原俊彦さんのお人柄・人生に興味が出てまいりましたので書籍を購入した事は、前回の記事で書いたと思います。

購入した書籍は、岡野誠さん著作の『田原俊彦論』です。岡野さんはライターであると同時に、20歳の頃からの田原俊彦大ファンでもあります。なので、これでもかというくらい詳しくご研究、洞察をされています。

岡野誠著『田原俊彦論』の書籍画像

そのおかげで私もすごく参考になり、抱負の設定のみでなく、今後の心構えを知る上でも非常に役立ちました。それらを今回、ご紹介していきたいと思います。

最初に結論から述べますと、2024年の私の抱負は、『漸的覚醒』といたしました。

『漸的覚醒』とは何なのかを簡単にご説明しますと、私の造語で、「水や火のように変幻自在に、そして少しずつ覚醒していく」という意味です。

自分の性格『秋霜烈日』をイメージした画像
自分の性格『秋霜烈日』をイメージ

なぜ抱負をこれにしたかと言いますと、松田聖子さんの歌『チェリーブラッサム』を聞いていた時に、今自分が必要としているのは「これだ!」と思ったからです。具体的には、「何もかもめざめていく 新しい私」という歌詞の部分ですね。現に、聖子さんはその後どんどん覚醒していきます。

ただ、抱負はそれでいいとして、その抱負を実践していくためにはどのような心構えが必要となるのかで、ちょっと考え込んでしまいました。

私が30代の頃に学んだ西洋および東洋の哲学は、数百年前、中には数千年前のものもあります。根本的な教えは年月が経っても不変だと思うのですが、やはり実社会においての成功事例が知りたくなります。遠い昔に生きていた方々よりは、出来れば「現役の方から学びたい!」と思うのが人の性というものです。

そのような時に、たまたま田原俊彦さんの事を知り、その考え方・信念が、私の学んできたニーチェ王陽明の教えに少し似ていると感じました。自分の生き方を貫く所とか、ちょっとぶっきらぼうな所などは、彼らを連想します。

王陽明という名前はあまり馴染みがないかもしれませんが、明治維新の原動力となった『陽明学』の祖です。彼は軍の指揮官であると同時に、思想家であり、哲学者でもあります。西郷隆盛や高杉晋作をはじめとして、多くの志士が彼の学問を学びました。

田原俊彦さんからは、自分が描いている理想の人物に近いものを感じます。ですので、もっと詳しく知ろうと思い、書物を手にしたわけです。

本記事では、そこで学んだことや洞察をまとめようと思います。

注:田原俊彦さんは、ジャニー喜多川氏に非常に恩義を感じておられます。したがいまして、現在大きな問題となっているジャニーズ関連の話題については、ここでは言及しません。

それでは始めます。

1.田原俊彦の人生論

まずは、田原俊彦さんが歩まれてきた波乱万丈(栄光・没落・復活)な人生の過程で、数々の名言を残されていますので、それらの中から私が共感したものを厳選してご紹介したいと思います。

1-1.『教師びんびん物語II』1989年5月29日放送より P.104

たった一つのことをやり続けるだけでも、自分を見つけることができます

田原俊彦さんをイメージした、足の振り上げシルエット
デビュー時から足を高く振り上げ続けている

これは、あれもこれもと中途半端にやるくらいなら、一つのことをやり続けた方が得るものは大きいという意味ですね。

一つだけ追記しておきますと、おそらくこの「たった一つのこと」とは、アイドルや俳優など、「一つの職業(または仕事)に限定してやり続けなさい」という意味では必ずしもないと思います。

そういう意味も当然含まれてはいるでしょうけれど、田原俊彦さんのデビュー以来の活動を見ていますと、歌・踊り・芝居・コント・司会・バラエティーなど、様々なお仕事に挑戦されています。

若い頃から『一生の仕事』を見つけるのは中々難しいから、「一つの志を持ってやり続けなさい。そうしたら、自分を見つけることができますよ」という意味だと解釈しました。

1-2.『教師びんびん物語II』1989年6月26日放送より P.105

孤独も素晴らしい人生の一部だと思う。大切なのは、自分の人生を生きることだ

1994年の『ビッグ発言』により、それ以降テレビ業界から10年以上干されてきた方のお言葉ですから、私も真摯に受け止めます。

自分の人生を生きるための孤独であれば、それもまた良しという事でしょう。何か悟りの境地に達している感もあります。

コロナで会社を辞め、独立して以来一人でいる事が多くなった私にとって、この教えは心に響きます。孤独は「克服するもの」と今まで考えていたので、「素晴らしい人生の一部」と捉える田原さんの考え方は、私に新しい視点をもたらしてくれました。

1-3.『日本一のカッ飛び男』1990年5月21日放送より P.112

社会のせいじゃないんです。その人その人の心の持ちようで、世界の景色は、明るくもなり、暗くもなるんです。(中略)人間ってそんなふうに、自分自身の可能性を納得させたくて、現実と戦っているんではないでしょうか

人は、政治や経済の悪さを言い訳にしてしまいがちです。実際、政治家の方々の言動や行動を見ていますと、私もそう思ってしまう時があるのですが、あまり外部のせいにしても自分の状況は好転しませんし、自身の成長にもつながりません

ですから、奇跡的に優れた政治家が突如現れて、トップダウンによる急激な社会変革を期待するよりも、国民一人一人の意識を変えて地道に取り組むことにより、ボトムアップで世の中全体をよくしていこうとする、田原さんの考え方の方がより健全な気がします。

1-4.『M2』1993年7月8日放送より P.167

人前に出ると強く振舞ったりとか、自信あるように振舞うんだけど、本当は自信も何もなくてね(笑)。結構、怖がっているんですよ

過去の映像から、田原俊彦さんは常に自信満々のように見えていたのですが、当のご本人はこのように思われていたのですね。自信が無い時ほどぶっきらぼうな振る舞いや発言を行い、自らを鼓舞していたのでしょう。

こういう本音を聞きますと、「私でも何か出来るかもしれない」と勇気づけられます。

ちなみに、松田聖子さんも本番前はいつも緊張されているそうです。2014年6月6日放送の『僕らの音楽』で出演されていた時に、そうお話されておりました。草薙剛さんも言っておられましたが、適度な緊張感は優れたパフォーマンスに繋がるので、多少はあった方が良いと思います。加えて、前回のラジオ放送やいくつかの過去映像を見る限り、聖子さんは恥ずかしがりやの面も持っていらっしゃいますね。毎回自身を叱咤激励して本番に望んでいたのだと思います。

1-5.作曲家 都志隆の言 P.184

模索しながらやり続けることで突破口も見えてくる。沈んでいるときこそ、ちゃんと作らなければね。いろんな意味で手を抜くと誰も引き上げてはくれない。再び光が当たった時、そんな作品たちが漢方薬のように効いてきて結果的にアーティストを支えてくれることになる。(中略)そういった意味でも、苦しい時期の取り組み方はとても大事だと思います

逆境時の心構えを説いています。仕事が無い時にでも手を抜かずに取り組み続けることで、それらが資産となり、チャンスが巡ってきた時に最大限の力を発揮出来るようになるという事ですね。

1-6.インタビュー時の田原俊彦の言 P.220

究極にわがままな男だよ。でも、自分の意思に反することはできないじゃん。僕が選択した道だから、これからも歩いていくよ

どういう結末になろうと、最後まで己を通す覚悟を感じます。よく言えば信念を持っている、悪く言えば強情という事になりますが、私もそのように人生を生きたいものです。

1-7.著者である岡野誠の言 P.234

「(田原俊彦は)本気でぶつかれば、本気で返してくれる人

この考え方に私も完全同意します。やる気のない人、いい加減な人には本気でぶつかれないので、中々全力は出せません。

1-8.インタビュー時の田原俊彦の言 P.240

百点満点の芸能人みたいなのがイヤなのよ。俺、芸能人だけどさ、芸能人じゃないじゃん

これはちょっと解釈が難しいのですが、要は世間一般の人がイメージする芸能人にはなりたくないという事ですかね?確かに、田原さんは『アイドル』や『スター』であって、『芸能人』とは何か少し違う気がします。うまく説明はできませんが。

そう言われますと、私も世間が考える百点満点の戦略コンサルタントにはなりたくないかな?百点を目指すとすれば、それはプロとしての知識や技能においてだけで、社会人として「こうあるべき」みたいな固定観念からは一線を画していたいです。

1-9.『婦人公論』2001年9月7日号 P.252

時代が欲するものと、自分の立場、今の環境というものはあるから、必ずしも、思いと現実のバランスがとれているわけじゃない。でも、“負けないぞ”という気持ちがなくなったら、終わりでしょう。自分を信じ続けないと

この文章を読んでびっくりいたしました。なぜかと言いますと、田原さんのこの言葉は、後世に大きな影響を与えた江戸時代の経世家『熊沢蕃山』の『時処位』論そのままだからです。

「時代が欲するもの(時)」、「自分の立場(位)」、「今の環境(処)」と考慮すべき点を網羅しています。非常にご多忙な方なので、そのような関連本を読まれたことは多分無いと思いますから、これって自らの人生経験から得た洞察ですよね?……率直にすごいです。

後、「自分を信じ続ける」ということ。時にブレそうになりますが大事な事です。私も気持ちを引き締めないといけません。

1-10.『山梨日日新聞』2013年7月9日付 P.254

ぶんぶん(バット)を素振りしているのが俺

野球の素振り画像

田原さんはご自身の事を、ピンチヒッターと位置付けているようです。声が掛かったらいつでもスタンバイOKでステージに立てるよう、常に準備しているという事でしょう。非常に謙虚な姿勢で、普段私たちの前で見せる多少荒っぽい言動とは全く異なりますね。

そうか……私の仕事はクライアントが困った時にサポートする事ですから、目指すべきは優れたピンチヒッターになる事です。先発エースの4番打者になる事ではありません。これからはそのような意識で過ごすようにします。

1-11.『教師びんびん物語II』1989年5月8日放送より P.292

人生は闘いだ。自分の生きていく場所を用意してもらえないことだってある。そしたら自分で、その場所を作らなければならない。誰かがちゃんと見ている。必ず正しい判断を下してくれる。黙ってちゃダメだ。自分の場所を主張しなさい。ここは僕の場所だと言いなさい。正々堂々と自分の場所はここだと、ハッキリ主張しなさい

若い頃に聞きたかった言葉ですね。当たり前ですけれど、自分の居場所が無ければ、自分で作らないといけません。そのためには、一歩を踏み出す勇気が必要です。

しかし、新しい居場所を形だけ作ってもあまり意味はありません。なぜならば、その存在を主張して周りに認知してもらわなければ、誰もそれを認めようとしないからです。

2.田原俊彦流の仕事に対する心構え、そして売れる理由

次に、書籍を通して、田原さんのお仕事に対する心構えが見えてまいりました。それらをここでまとめておこうと思います。

仕事に対する心構え:

  • 高いプロフェッショナリズム
    • 自分が良いと思ったことは貫く
    • ピエロになりきれるだけのタフな精神力
    • 常に明るく天真爛漫にふるまう
    • 柔軟な思考、状況把握力
    • 持って生まれた資質・個性を自分の持ち味にする
    • 常に一生懸命
    • 己の技術を徹底的に磨く

また、若い頃の田原俊彦さんは歌唱力の低さがよく弱点と言われていました。それなのに、なぜトップアイドルにまで上り詰め、その地位を何年間も維持し続ける事が出来たのでしょうか?

一般人の感覚とすれば、アイドルとして歌の上手さは非常に重要と思うのですが、田原さんご自身の自己分析と、著者である岡野氏の客観的分析があるので、ご紹介しておこうと思います。

専門スキルが低くても売れる理由:

  • 生まれ持った資質・個性
    • 発想の転換で、持って生まれた欠点を自分の持ち味にする
    • 負けん気
  • 常に一生懸命になることで、伝えようとするエネルギーに満ちている
  • 現実を把握する能力
  • 人から嘲笑される行動も嫌がらず行う
  • まじめな人間だと思わせない
    • 世間にはバカだと思われても、それを声高に否定しない
  • 常に明るく天真爛漫にふるまう

ここに書かれている内容を実践出来れば、たとえ専門スキルが未熟でも売れる可能性は高くなるという事ですね。

「まじめな人間だと思わせない」など、怖くて真似が出来なさそうなものもあるので、仕事の種類にもよるのでしょうが、とりあえず実践出来そうなものからやっていきます。

3.まとめ

以上となります。

今回は2024年の抱負が『漸的覚醒』であること、そしてその実践のために大事な心構えを、岡野誠著の『田原俊彦論』から考えてみました。

本書を読む事で、ここ一年間見てきた田原俊彦さんや松田聖子さん関連映像の多くが、今点と線で繋がりました

当時の映像を見るだけでも楽しいのですが、背景のストーリーも知っていると、やはり印象も違ってきますね。親近感が出てきます。

岡野氏も書いていらっしゃいますが、1989年前後の田原俊彦さんに勝てる日本人はそういません。肉体的にも精神的にも充実しているのが分かり、放たれているオーラがすごいです。

また、『いまでこそ80年代の再評価が起こっているが、90年代は80年代がダサいものとして扱われていた時代』と本の中で書かれていますが、私が10代だった1990年代から見ますと、確かに1980年代はダサく見えていました。

でも今は、80年代の方がはるかに輝いて見えます。90年代も輝いている部分はありましたけれど、今思うと、刹那的というか虚構の部分もあったように感じます。

以前は全く興味が湧かなかったのに、戦略コンサルタントとして、さらなる成長・進化に向けて、80年代のアイドルに興味を持たなくてはならない理由が、現在の私にはあったのだと思います。

最後に、私が10代の頃にアニメやゲームに没頭した理由もやっと分かりました。松田聖子さんや中森明菜さんに似ているアニメキャラクター(※)が登場していたからです。

※:例えば、超時空要塞マクロスの『リン・ミンメイ』、きまぐれオレンジロードの『鮎川まどか』、らんま1/2の『天童あかね』などです。皆、どこか聖子さん・明菜さんの面影があります。

2024年の出だしとしては悪くない記事が書けました。本記事の内容を心に留め、今年は仕事に邁進していきます。

よろしくお願いいたします。

漸コンサルティング
味水 隆廣

4.(おまけ)新年のお年玉

家を片付けていた時にたまたま見つけた、中森明菜さんと斉藤由貴さんのテレホンカードです。時期的に私が5~8歳頃のものですかね。せっかくなのでアップします。

中森明菜さんは髪型から察するに、『ミ・アモーレ』もしくは『SOLITUDE』を歌っている頃の写真でしょうか?それと子供の頃、ドラマ『スケバン刑事』で「すごく綺麗な人だなあ」と思いながら見ていた人は、斉藤由貴さんだったと最近知りました。

今回参考にした本のご購入はこちらからも出来ます

リンク:『田原俊彦論-芸能界アイドル戦記1979~2018 岡野誠著

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