永遠のアイドル、松田聖子さんと田原俊彦さんをよく知らない人のためにお勧めコンテンツをご紹介

皆さま、こんにちは

今回は、現在でもアイドルとして活発に活動されている松田聖子さんと田原俊彦さんについて、私が過去1年間いろいろ見てきた中で、お勧めと言える動画や音声などをご紹介したいと思います。

有名な定番のものもあるので、お二人について興味はあるけれどよく知らない、もしくは昔のマスコミ報道でしか知らない読者の方を想定しています。

以前の記事『2023年の抱負は『挑戦』-40代で初めて中森明菜さんの生き方を知る』でも書いたのですが、自分は近年までアイドルには全く興味を持っておりませんでした。それがたまたま、去年中森明菜さんが歌っている若かりし頃の動画を見て、興味を持ち始めたわけです。

過去の明菜さんの映像を見ていますと、ライバルとして、もしくは共演者として、松田聖子さんや田原俊彦さんがよく登場しています。ですから、自然とお二人にも興味を持つようになりました。

興味を持った理由は、見ていて単純に楽しいからです。私はリアルタイム世代ではありませんけれど、今の規制ばかりのテレビ番組には無い、挑戦心や躍動感があると思います。

なぜ本記事を書こうと思ったかと言いますと、このお二人ほどマスコミや事務所などの情報操作に翻弄されて生きた方はいないと思うからです。勝手にイメージを作ってテレビで報道し、大衆はそれを何の疑いもなく受け入れていました。

例えば、田原俊彦さんは1994年の『BIG発言』以降、傲慢だとして2009年頃まで業界から干されています。そして松田聖子さんは、今でも『魔性の女』として厳しい意見がネットで散見されます。

本当にそうなのでしょうか?仮にそのような部分があったとしても、最初からそうだったのでしょうか?変わらざるを得ない何かが当事者に起きていたのではないでしょうか?

幸い、ファンを大事にし、地道な努力をひたすら続けてこられた結果、田原さんは何とか誤解も解けてテレビに復活されました。でも一歩間違えれば、世間に忘れ去られていた可能性だってあります。あまりに理不尽です。

今はインターネットがあり、当時は点でしか把握できなかった情報も、線として繋いで見ることができるようになっています。その過程でいろいろ分かってきた事もありますので、そこらへんを今回、お勧め動画と共にご紹介していければと思います。

0-動画再生

私から見ますと、このお二人は本当に純粋でお優しいです。

本記事では、エンターテイメントお二人の関係に特化して書いていきます。著作権の問題もあり、画像などはもちろん掲載できません。その代わりに、文章で出来るだけ説明してみようと思います。

番組が放送された年代など、出来るだけソースとなる情報を掲載しますので、ご興味を持たれましたら、ネットやショップなどで映像や歌などを探してみてください。

そして可能でしたら、本記事の内容を検証していただき、間違っておりましたら教えてほしいです。

注:全ての内容をここ一つの記事にまとめています。非常に長いのでご注意ください。

1.お二人の印象について

本題に入る前に、まずは松田聖子さんと田原俊彦さんに対して、私が抱いている印象について書いておきます。

聖子さんについては、私が単に男だからなのか、それともバブルが崩壊して日本経済が没落し始めた時に憂鬱な青春時代を過ごしたからかは分かりませんが、とても新鮮で輝いて見えます。

1-80年代スタイル

もし10代の頃に『小麦色のマーメイド』、『秘密の花園』、『天国のキッス』などを歌っている彼女を見てしまったら、おそらく一目惚れしていたでしょう。ファミコンなどのゲーム世代の人間から言わせると、テンプテーションの魔法でもかけられた感じで、本当に不思議な魅力を持った方と思います。

1-キラキラ星のポップな背景(ゴールド)

一方、田原俊彦さんについては、どういう方なのか、今年の春ごろまでよく知りませんでした。それがたまたま、60歳を超えてもいまだに歌って踊り続けている動画がYouTubeに出てきて、興味を持ち始めました。並大抵の努力で出来る事ではありません。田原さんのストイックな生き方・お人柄には非常に惹かれます。現在はYouTubeチャンネルにも登録し、定期的に見るようになりました。

それでは、本題となるお勧めコンテンツについてこれからご紹介していきます。

2.『田原俊彦ひとつぶの青春 聖子ちゃんゲスト回』1984年11月18日放送

最初に、聖子さんや田原さんをよく知らない、もしくは昔のマスコミ報道でしか知らないという方へ、ぜひこのラジオ放送回を聞いてほしいと思います。

テレビでは中々見られない、素のお二人を見る事ができるからです。トーク部分は15~20分くらいの長さで、田原さんは『のりたま』もしくは『おまえ』、そして聖子さんは『あなた』もしくは『田原くん』とお互いを呼び合っています。すごく仲が良さそうです。

時期的には、1985年4月に神田正輝さんと婚約発表する約半年前となりますね。

補足1:ちなみに、中森明菜さんも徳光さんの番組の中で『田原くん』と呼んでいます。夜ヒットでは先輩のはずの田原さんの肩を小突いて気軽に話しかけていましたし、実際は兄妹のような関係でしょうけれど、このお二人も仲が良かったように見えます。トップアイドル同士で仲が良いって、よく考えてみるとすごくないですか?

田原俊彦さんは様々な番組で松田聖子さんの話題が出るたびに、「(のりたまとは)当時イチャイチャしていた」というような事をずっと言い続けています(※1)。カメラの無いお二人だけの時は、こんな感じで話されていたのでしょう。

※1:
● 『ふたりのビッグショー「田原俊彦・松田聖子」』1994年放送
● 『ザ・ベストテン2004』2004年放送
● 『黒柳徹子&トシちゃん芸能界70年の裏側をすべて告白SP』2023年放送
● 他多数

トークの中で一番の要点だけ書いておきますと、聖子さんは田原さんの事を「好き」で、かつ「一緒にいると一番落ち着く」そうです。口を滑らせたのかもしれませんが、話の行間を読む限り、何度か手料理を作ってあげていた事もあるようですね。

公式では、1980年から1985年1月頃までの約4年間、松田聖子さんは郷ひろみさんと交際していたとなっているのですが、それは真実ではないと思います。(郷さんはすごくお優しい方だとは思いますけれど、はっきり書いてしまってすみません)

当時凄まじい人気を誇っていた、田原俊彦さんのアイドルとしての商品価値を失わないためのビジネス戦略として、ジャニーズ事務所が郷ひろみさんをスケープゴートにしたと考える方が妥当です。

聖子さんと田原さんの名前が新聞に隣同士で掲載されただけで抗議の電話がかかってくるくらいですから、リスク管理とマーケティング戦略の両面で、その頃は仕方なかったと思います。

そもそも、なぜそう思ったかと言いますと、2000年9月27日に発売された郷ひろみ・松田聖子のデュエットシングル『True Love Story/さよならのKISSを忘れない』について、その制作状況がどうだったかを徳光さんが番組内で郷さんに尋ねているのですが、「割と淡々と…というかそんな別に…」とお答えされており、さらに当時スキャンダルとなった原田真二さんにピアノを弾いてもらいたかったという皮肉をおっしゃっているくらいなので、昔の恋人に対する発言とは思えなかったからです。

仮に昔恋人同士だったとしても、すでにお二人ともこの時点では恋愛感情が全く無いと判断できます。

聖子さんの後から発売する歌(『あの日の夜の冷たい雨(2021)』、『あなたへの想い(2016)』、『ずっと愛しているから(2016)』等)の中には、少女の頃に好きだった人をまだ忘れていない内容の歌詞があったりするので、相手が郷さんだと矛盾するんですよね。

もし、郷さんと初めて会ったのが桜の花が舞っていた春、ペアルックのセーターを着たことがあり、かつ夢を語りあったりした事があるのでしたら、まだ可能性はあるかもしれませんが……

補足2:1991年10月2日に放送された、『今夜だけ!!ご本家復活 ザ・ベストテンスペシャル』の中で、自ら聖子ファンを公言している中森明菜さんも「くっつけ!くっつけ!」と、お二人が結ばれる事を望んでおられたようです。それを聞いた聖子さんは嬉しそうに笑っています。どれだけ熱狂的なファンかは、1991年9月29日に放送した小西博之さん司会の『中森明菜の思い出のザ・ベストテン』を見るとよく分かります。お気に入りとして、本記事(見出し6-3)でもご紹介している『テニスコート』のシーンが出てきます。共演者として近くでずっと見てきた明菜さんだからこそ、両者はお似合いと思われたのでしょう。

補足3:実は、『生だ!さんまのヒットマッチ』という番組の中で、田原さんと明菜さんが何度か共演されているのですが、『ミ・アモーレ』を歌っていた頃(1985年の4月~5月頃?)に、このお二方の関係が悪化していることが見て取れます。最初は和やかに番組がスタートするのですが、話が進むにつれて段々と、先輩の田原さんを「最低!」と言ったり、挑発したり、睨みつけたりしています。時期を考えますと、ちょうど聖子さんが婚約発表した頃なので、憧れの先輩である聖子さんを泣かせた(段落5-6『二人の愛ランド』を参照)田原さんに怒っていたのかもしれません。でも、3か月後の『SAND BEIGE -砂漠へ-』を歌っている頃には仲良さそうに見えるので、すぐに仲直りをしたのでしょう。

補足4:さらに、上の番組のさんまさんと田原さんとのやり取りで、好きな女性のタイプの話になったのですが、田原さんは「色の白い子が好み」と答え、その時さんまさんが「シャレにならんで」と返しています。ここから、さんまさんは田原さんの好きな女性が婚約された聖子さんだったと知っている事が分かります。なぜ『色の白い子』が聖子さんを指しているかと言いますと、それは1994年の『ふたりのビッグショー』の時のお二人の会話で、聖子さんと最初に会った時の印象を「色が白くて、ぽっちゃりしていて……」と表現しているからです。

補足5:このラジオの中では、初めてご自身で作曲したという歌『とんがり屋根の花屋さん』も流しています。後で2022年のライブ映像を少し見たときに驚いたのですが、1984年から2022年まで、つまり約37年間、(レコーディング時を除いて)一度もこの歌を人前で歌われたことがなかったそうです。そこから、聖子さんにとって何か特別な思い入れのある歌だったと思われます。

3.『徹子の部屋』2012年6月25日放送

実際、田原さんの方はどうだったのでしょうか?上記のラジオ放送やテレビ番組だけでは、はっきりとは分かりません。

田原俊彦さんの松田聖子さんへの想いについては、51歳で『徹子の部屋』に出演した時にやっと明らかになります。お二人を隣同士で座らせないようにしていたという、1980年代当時の苦労話が黒柳さんからあった際、田原さんは「どんなに離れてても、手は繋いでいましたけどね」と答えています。

その発言をした直後、スタジオ内が一瞬シーンとして、黒柳さんが「そうですか……長い手だなあ……長い手なんだ……」と言って、何事も無かったようにそのまま話を進めます。この時に初めて、お二人が実は相思相愛だったのだと分かったのでしょう。

田原さんにとって黒柳さんは、10代のデビュー時からずっと成長を見守ってきたお母さんのような存在です。敬愛している方に嘘を付くわけがありませんので、これが真実と考えて良いと思います。

注:
ただ、残念ながらネットにある動画の中には、上の部分の内容がカットされているものもあります。テレビ局がそうしたのか、それとも動画をアップされた方が編集されたのかは分からないのですが、田原さんの本音や率直なご性格はそういう所に現れていたりするので、ファンの方であれば尚更カットしないでほしいです。

それと、だからと言って上のラジオ放送やこの番組を見て、「松田聖子の恋人は実は○○だった!!」などと言う、世間を煽るような安易な情報拡散はしないでほしいと切に願っています。

私がこの記事を書いている理由の一つは、常にマスコミなどに振り回されて苦悩してきた彼女の魂が、真実を通して少しでも救われることを願っているからです。聖子さんが若い頃の自分の決断をずっと後悔しており、苦しんでいるのは、歌われている歌詞を見ても明らかです。

ちなみに、これは私の想像ですが、なぜ田原さんがテレビ番組やネットなどで若い頃聖子さんと「イチャイチャしていた」と頻繁に話されるのかと言えば、「のりたまの事をいつでも応援しているよ」という同志・戦友としてのエールではないでしょうか?

お互いパートナーがいるわけで、もう直接会えないわけですから、歌・テレビ・ネットなどを通して想いを伝えあっている気がします。

田原さんの歌『THANX(1992)』、『ごめんよ涙(1989)』、『ヒマワリ(2011)』などを聞いてみてください。

一つ目『THANX(1992)』は聖子さんに贈る歌として、『ふたりのビッグショー』の時に本人の前ではっきり言っているので、間違いはないでしょう。その当時感情のすれ違いが起きていた事が読み取れます。

二つ目『ごめんよ涙(1989)』については、前段落のラジオの内容から、若い頃田原さんが夢を追いかける事に夢中だったと分かるので、そのために別れる事になった女性を想って歌っているように聞こえます。また、歌詞の中には「はじめて逢った頃は子供のようだった」という表現があります。なので、この歌に出てくる女性は、田原さんが10代の頃に出会った方と推察できます。そうなりますと、消去法で聖子さんにならないでしょうか?

三つ目『ヒマワリ(2011)』については、確信は持てないのですけれど、ずっと田原さんを支えてきた熱心なファンに対してだけでなく、聖子さんに向けても歌っているように私には聞こえました。

何かお二人の関係は、天の川に隔てられた織姫・彦星のようです。個人的な意見とすれば、当人を含む関係者が問題無ければ、たまには会っても良いと思うのですけどね。

補足:松田聖子さんの歌『蛍の草原(1995)』の中にも、天の川の歌詞は出てきます。

もしお二人にご興味がありましたら、リサーチしてみてください。

4.『トシちゃんと聖子の’83ヒット・メドレー』1983年放送

気を取り直して、次は80年代当時の日本の雰囲気を凝縮したような動画があるのでご紹介します。国民的アイドルとなった聖子さんと田原さんお二人が、その年のヒット曲をメドレーで歌いあげている動画です。NHKのテレビ番組『レッツゴーヤング』で放送されました。

見ると分かりますが、すごくエネルギッシュで、特にぴょんぴょん飛び跳ねている聖子さんが本当に可愛いです。田原さんの歌唱力がちょっとアレですけれど、個人的にはそんな事よりも、お二人が心から楽しんでいるのを視聴者として見られる方がうれしく思います。

しかし、このような演出は、現代ではもう実現できないのでしょうね。スーパースターが同時期に男女二人で出揃うという奇跡に加え、その年のヒット曲をお二人が代表して歌います(※2)。ずば抜けた知名度・人気が無いとできない事です。

※2:中森明菜さんの曲はなぜか入っていません。

それと、コンプライアンスに引っ掛かるのかどうか分かりませんが、今のテレビ番組では当時のように、女性がミニスカートを履いて出演するのは駄目になったのでしょうか?華やかでいいと思うのですけどね。

後、昔はこのような若者向けの番組を真面目なNHKが放送していた事にびっくりしました。学校の学芸会の延長のような雰囲気(※3)なので、気軽に楽しめます。現代は歌もコントも専門職業化してしまいましたが、ごちゃまぜの寄せ鍋的なテレビ番組も、新鮮で面白いと感じました。

※3:お勧めコンテンツ
● 聖俊(注)によるレッツゴーヤング司会(息がぴったりで、時にお茶目な姿を見せます)
● ヨースケ博士と聖子ロボット(毒舌な聖子さんを見る事ができます)
● オン・アンド・オン・アンド・オン(サンデーズ時代の初々しいお二人のダンスが見られます)

注:読みやすくするため、聖俊と短縮して表記します。

5.レッツゴーヤングでの聖俊デュエット六選

次は、レッツゴーヤングでの私のお気に入りデュエットシーンをまとめて紹介します。

5-1.『SQUALL(スコール)』1981年4月放送

司会の太川陽介さんも言っておられますが、この時に聖子さんが田原さんを見つめる顔がいいですね。照明の効果もあるでしょうが、光り輝いています。まだ10代のはずなのに、可愛いというより美しいです。目の前に好きな人がいたから、自然とそういう表情になったのでしょう。

5-2.『恋のビーチウッド』1982年4月放送

この時のお二人は、本当に息がぴったりというか、夫婦がデュエットしているように見えます。後、ショートヘアーの時の聖子さんは、お母さんと並ぶと分かるのですがそっくりです。このままお年を召していたら、肝っ玉母さんみたいな感じになっていたのでしょうか。

5-3.『ネバー・アゲイン』1983年5月放送

このデュエットは特に私のお気に入りで、この頃からお二人は大人びてきますね。田原さんの表情が男らしくてかっこいいです。

ただ、お互いの笑みの中に微かな悲哀が含まれている感じもします。後年の聖子さんの歌を見ると、少しずつすれ違いが起きていたという描写があるので、もしかしたらこの頃からお互い会えなくなってきたのかもしれません。

間奏で、田原さんがご自身で考えたセリフなのかどうかは分かりませんが、「ごめんよ、もう寂しさとはさよならさ」と言った時に、聖子さんの顔が嬉しそうに笑みを浮かべるのが本当に素敵だと思います。とても演技とは思えません。

5-4.『フーリン・マイセルフ』1984年2月放送

これもお気に入りです。もはやお二人の結婚式みたいな演出で、企画を考えている方や現場スタッフの方々は、彼らの関係を完全に知っていますね。

でも、肝心の聖子さんと田原さんの表情が常に悲しみを帯びているのが気になります。アイドル同士の恋愛は本来ご法度ですし、トップアイドルとして、世間には分からない苦悩を常に抱えていたのだと思います。

最初の方で聖子さんが田原さんの腕を掴もうとして引っ込めたり、最後の方で田原さんが聖子さんの背中に腕を回して優しくエスコートしたりと、結構大胆な演出をするので、客席の歓声が悲鳴に近くなっています。横で見ていた司会の方々も、皆見入っていましたね。

前の『ネバー・アゲイン』もそうですが、歌詞の内容も併せて考えると、現場で働いているNHK関係者はお二人の恋を裏で応援していた感じがします。

5-5.『愛と青春の旅立ち』1985年と1994年放送

それと、『愛と青春の旅立ち』です。お二人は1985年?に英語バージョン、そして1994年に日本語バージョンでデュエットしています。

1985年は、時期的にすでに神田さんとの交際が公になっている頃となります。動画を見て驚いたのですが、この時聖子さんは右手に持っているマイクを左手に持ち直して、自分から田原さんの腕を組みにいっています。そして、一人で田原さんが歌っているパートになると、聖子さんは見守るように横顔をずっと見つめています。なので、それら様子を見ていた観客の歓声はすごい事になっていますね。

後、1994年の『ふたりのビッグショー』でも一緒に歌っています。歌う前に「なにか懐かしいな」と聖子さんが言っていたのは、上記の1985年時のデュエットを思い出したからでしょうか。この時には、聖子さんは田原さんに向けてウィンクしています。

当時はネットも無く、お二人の関係は噂レベルでしか無かったと思いますけれど、こうやって時系列で一つ一つ見ていきますと、もはや疑いようがないですね。

23歳で結婚したかった聖子さんに対し、田原さんは30歳まで結婚する気が無かったという両者の結婚観の違いや、事務所の問題など、当時大きな障害はあったでしょうが、後でお二人に起きた事を考えますと、それら障害を乗り越えて結婚してほしかったと思います。

最強のこのお二人が揃えば、マスコミの過剰バッシングにも余裕を持って対処できた気がしますし。

いつの時代も、スターは孤独と戦っている。同じ境遇にいる人がほぼ存在しないため、自分の心情を理解してくれる人がおらず、悩みも共有できない。

『田原俊彦論-芸能界アイドル戦記 1979~2018』岡野誠著より

でも、神田さんと聖子さんの交際が報道された1985年1月頃、田原俊彦さんは次のように雑誌の取材に答えています。

「最後の砦は自分一人だからね、この世の中。信じるのは田原俊彦一人。」

『JUNON』1985年1月号より

田原さんが一人でやっていくと心に決めたのは、この聖子さんのご結婚がきっかけになったような気がします。ザ・ベストテンで黒柳さんもおっしゃっていましたが、1985年後半から子供っぽい表情が無くなっていき、急に大人びてくるからです。聖子さんの人生も大きく変わりましたが、同じくらい田原さんの人生も大きく変わったような気がします。

補足:すでにご結婚されている方々に対し、このような事を書くのは不謹慎だと分かっているのですが、(特に聖子さんにとっては)幸せになる選択肢があまり無い感じがしたので書かざるを得ませんでした。

5-6.『二人の愛ランド』1985年5月放送

最後は、1985年4月(もしくは5月?)にレッツゴーヤングで放送された、松田聖子さんご結婚前の田原俊彦さんとの最後のデュエットです。ここでは『二人の愛ランド』などを歌います。聖子さんが号泣される回として有名です。

『赤いスイートピー』の歌い初めに、なぜ田原さんの顔を見てすぐに嗚咽しはじめたのか、最初のラジオを聞いていただけたら分かるでしょう。

ちなみに一つ補足として、この時に聖子さんはハートのイヤリングを身に着けています。言葉には出来ない秘めた想いを、最後に伝えたかったのかもしれません。

4-ハートのイヤリング

後日の番組(※4)でお二人が共演した時に分かるのですが、聖子さんは当時、面と向かってはっきりと自分の想いを田原さんに伝えられなかったようですし。それと余談として、番組内で聖子さんが取った行動がすごいです。周りを気にせず、隣に立った田原さんの腕をすかさず掴みにいっているのですから。その瞬間を捉えたカメラはすぐに切り替わり、後ろに座っているジャニーズ後輩たちは大笑いしています。大胆ですね。

※4:『’94夜のヒットスタジオ超豪華秋SPECIAL』1994年放送

この動画『二人の愛ランド』は全部通しで見てほしいと思います。田原さんもかなり辛いはずですが、それをおくびにも出さず、聖子さんを常に気遣っているのが分かります。本当に強くてお優しい方だと思います。

6.ザ・ベストテンでの聖俊シーン四選

次は、視聴率40%が当たり前だった80年代の超人気歌番組、ザ・ベストテンでのお二人のシーンについて、自分のお勧めをまとめておきます。

6-1.『相合傘』1981年9月17日放送

まずは、『白いパラソル』を歌った時の有名な相合傘シーンですね。雨で濡れそうな田原さんのために、白い傘を持ってくる聖子さんが初々しくて可愛すぎます。

5-傘の中のふたり

この演出を考えたのは、おそらく司会者の久米さんですね。歌が始まる前のコメントを聞く限り、二人が恋愛関係にある事を知っているような言い回しでしたし、視聴者からの苦情を恐れずによくやったと褒めてあげたいです。ただ、この演出を事前に知らされなかった黒柳さんは怒っていたようですが。

6-2.『迷路』1982年9月30日放送

そして、『小麦色のマーメイド』を歌った時の映像です。聖子さんが迷路に迷ってしまうハプニングがありますが、それよりも田原さんに向けて見せる笑顔が素敵だと思います。傍から見ていても、想いが溢れていると分かります。

毎回見ていて思うのですが、松田聖子さんは一つ一つの仕草が本当に上品です。私がイメージする大和なでしこそのままで、高い知性を感じます。愛情たっぷりのご両親の教育の賜物でしょう。

1994年の『ふたりのビッグショー「田原俊彦・松田聖子」』の中で、田原さんがデビュー当時の聖子さんのぶりっ子は自然体だったとお話しされていますが、その意味が分かる気がします。可愛く見せたくてわざとぶりっ子をやっているわけでは無く、深い愛情と高い教養に基づく品の良さ、性格の良さが自然と表出して、結果的にぶりっ子に見えただけです。

6-3.『テニスコート』1982年7月8日放送

お次は、『渚のバルコニー』を歌った時に、お二人でテニスをしている動画となります。田原さんにタオルをかけてあげるシーンなど、もうお似合いすぎて笑うしかありません。当時のテレビ番組っていろいろな事に挑戦してすごく面白かったのだなあと、改めて思いました。

こうなってくると、仕事を通してデートしている感じですね。超人気アイドル同士、プライベートな時間など全く取れなかったでしょうから、そこは大目に見るべきだと思います。

しかし、確かこの放送の後に、聖子さんにカミソリの入った封筒が届いたと聞いています。世の中にはひどいことをする人がいるものです。

6-4.『ザ・ベストテン2004』2004年12月30日放送

後は、2004年に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版での共演です。お二人にとっては1994年以来となり、約10年ぶりの再会となります。番組構成を見る限り、この回の目玉は聖子さんと田原さんですね。仲良く手を繋いで登場されます。

この時は、田原俊彦さんはテレビ業界で干されている時期(1994年~2009年まで)なので、おそらく黒柳徹子さんの尽力で何とか実現できたのでしょう。ですから、かなり貴重だと思います。

番組の中では、田原さんが懐かしい思い出として、10個の名場面シーンを選んで説明しています。その中には、上で紹介した『相合傘』『迷路』『テニスコート』のシーンも含まれています。なので、もしそれらの動画をざっくりとでも見たい方は、この『ザ・ベストテン2004』を見ると手っ取り早いと思います。

それと、冬ソナの一シーンをお二人が演じるように企画するとは、スタッフも中々にくい演出をしますね。特に、二つの雪だるまをくっつけるシーンで、聖子さんが力を入れすぎてぶつけてしまったのが笑えました。

番組の締めとして、『君のひとみは10000ボルト』を歌っている間はずっと手を握っておられ、そして最後のハイポーズ写真では腕を組んでいらっしゃいます。

こういう時しか会えないでしょうから、良かったと思います。

7.『トシと聖子のTHE MANZAI II』

お笑いでもお二人は共演されています。当時のアイドルって何でもやるのですね。漫才ではこれが一番面白いと思います。普段のトークでは田原さんがリードする事が多いのですが、漫才になると立場が逆転して、聖子さんがリードします。

コントでは、志村けんさんとの共演が素晴らしいです。バレーボール・二人羽織・早口言葉・学校・聖子ママ・ナース(今は看護師ですね)など、いろいろやっておられます。

何か聖子さんって、漫才やコントの素質がある気がします。

8.他のお勧めコンテンツ

ここからは、聖俊コンビとしてではなく、ソロのコンテンツ他のコンビでお勧めのものを簡単にご紹介していきます。

8-1.レーガン前大統領来日記念で見せた、田原俊彦さんのパフォーマンス

まずは、1989年にレーガン前大統領夫妻が来日された際、特別企画として田原俊彦さんがお見せしたパフォーマンスです。

自分は2023年になって初めてこの動画を知りましたが、一般的には有名なのでしょう。当時私は10歳で、ドラえもんを見たり、テレビゲームをクリアしたりするのに忙しかったようです。

彼のパフォーマンスは本当に圧巻で、精悍な顔つきと筋骨隆々のお姿を見る限り、肉体的にはこの頃がピークですね。この動画を見たのがきっかけで、どういう方なのかさらに知りたくなり、本も購入しました。

今も良いですけれど、この頃の他を寄せ付けない崇高なオーラを纏った田原さんに憧れます。まさに雲の上のスターです。

ご自身のブログ(2014年5月18日)によると、今でもレーガン夫妻とジャニー氏の4人で撮った写真が家にあるそうですね。国賓の前でパフォーマンスが許される日本人ってほとんどいないと思うので、ご本人にとって忘れられない思い出となった事でしょう。

誇らしいですし、今の元気のない日本人にこそ、この動画を見てもらいたいと思います。

8-2.はっちゃけた田原さんと可愛い明菜さんが見られる『華麗にAh!so』

次に、研ナオコさんが司会を務める、ホテルを舞台とした設定のトーク・コント・音楽番組『華麗にAh!so』です。

この時の放送は正月特別企画(1989年1月1日放送)となっており、田原俊彦さん、中森明菜さん、志村けんさんら豪華ゲストが共演しています。見どころが沢山あり、神回と思います。

アットホームな雰囲気で、個人的にはこういう自然体な番組が好きです。他ではあまり見せないような芸能人の素顔も見る事ができます。

研ナオコさんと田原俊彦さんの関係:

番組を通してみると、研さんと田原さんの関係って、何かおふざけ好きな姉とやんちゃな弟といった感じに見えます。

最近でも研さんの53周年記念コンサートにサプライズで出演されています(※5)し、本当に素敵な関係だと思います。

※5:ユーチューブの『田原トシちゃんねる』でその様子を見ることができます。

逆に、研ナオコさんは松田聖子さんとはあまり仲が良くないようですね。視聴者には分からない何かがあったのかもしれません。

志村けんさんと田原俊彦さんの関係:

後、自分にとっての志村けんさんは、『8時だョ!全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』のハイテンションなイメージが強かったのですが、素の志村さんはたまに茶目っ気も見せますけれど、基本落ち着いている方と分かりました。

田原俊彦さんとの絡みでは、お互い遠慮のないぶっきらぼうな会話をされるので、最初喧嘩でもしているのかと思いました。でも、少し番組を見ていくと、仲が良いから出来る事だと分かります。

やんちゃな兄弟のようで、じゃんけんで負けたからと、先輩の志村さんに飛びかかって親しげに首を絞める事が出来る人など、芸能界では田原さんしかいないのではないでしょうか?こういう関係っていいですね。

追記:
ちなみに、1988年8月31日放送の『夜のヒットスタジオ』では、マンスリー最終として熱烈な女性ファンを前に『抱きしめてTONIGHT』などを歌われます。その際、志村けんさんがゲストとして登壇するのですが、一緒にゴルフに行ったり、ぶっきらぼうに本音を言い合ったりするほど仲が良いのは分かっていましたけれど、まさかファンの前で田原さんの髪の毛の薄さをいじるとは思いませんでした。司会の古館さんも含め、三人漫才のようです。ワイプ(小さな画面)に映っている聖子さんも、ライブ最初は頬に手を置いて不機嫌そうでしたけれど、志村さんとのやり取りには笑みを浮かべていましたね。コロナで亡くなられたのが改めて惜しまれます。

田原俊彦さんと中森明菜さんの関係:

そして、田原俊彦さんと中森明菜さんの関係についてです。このお二人は以前から兄妹のような感じで、仲が良いのはそれ以前の映像やラジオなどを見ていれば分かるのですが、何か出会いが異なっていれば、それ以上の関係にもなっていた気がします。

太陽と月のような感じで、二人が並ぶと、太陽同士の聖子さんとはまた違った意味でお似合いに見えます。

補足1:
たのきんトリオ』のお一人である野村義男さん(よっちゃん)が、ある番組で徳光さんから「一言で言うと明菜さんってどういう人なんですか?」と訊ねられた時、野村さんは「すっごいいい子ですよ」、「奥さんとしては最高じゃないですか?」、「一緒にいたいと思わせる、すごい素敵」と熱く語っておられました。

補足2:
『ザ・ベストテン(1984年4月26日放送)』の番組の中で、その当時付き合い始めた中森明菜さんと近藤真彦さんの相性を占っている回があります。それによると、『(明菜さんは)ちょっと気が弱くてガラスのような細かい神経をしています。田原俊彦のような優しい男がグー』という結果になりました。

補足3:
上の結果に対して、久米宏さんがさらに突っ込んで「明菜ちゃんはトシちゃんの方が向いているけれど、あっちの近藤さんは明菜ちゃんタイプがいいらしいですね。こういうの行き違いと言うんでしょうかね?」と聞いています。その際、明菜さんは笑ってごまかしているのですが、今思うと元々は田原さんに好意を寄せていた感じがします。なぜそう思ったかと言いますと、前年つまり1983年7月24日放送のヤンヤン『林間学校 愛の告白入門』での出来事からです。この時、演技で田原さんの腕を掴んだ柏原芳恵さんに対し、「何で(田原くんの)手を掴むの!」と台本にはない突飛な行動を取ってNGを出しています。明菜さんの素直な気持ちが、その時行動として自然と表に出てしまったのではないでしょうか?

真実はどうであれ、いずれにしても、この『華麗にAh!so』が放送された約半年後に、近藤さんと付き合っていた明菜さんの人生は大きく悪い方向に変わってしまいます。『優しい男が良い』という占いは、ある意味当たっていたと言えるのかもしれません。

何となくですが、このテレビ放送の時点で田原さんは明菜さんのいつもとは異なる雰囲気に気づいていた感じがします。あんなに楽しい場で時々真顔になったりと、私でもおかしいとすぐに気づきましたし。

だから、明菜さんを元気づけようと番組の中でいろいろちょっかいを出されていたのかもしれません。例えば、普段だったら絶対しないようなボディタッチを事あるごとにするので、中国のファンの方々が田原さんに嫉妬しています。そういう振る舞いが許される程、二人は仲が良いという事なのでしょう。

ところで、工藤静香さんの『MUGO・ん…色っぽい』を歌う中森明菜さんが可愛すぎます。このシーンは有名なので、ネットで検索すればすぐ動画は見つかると思います。

8-3.『ザ・スター 振り向けば…聖子』

これは、松田聖子さんの様々な魅力を多角的にご紹介している番組です。本当に大好きなスタッフが、企画・制作された感じがします。

例えば、ご本人にとっては顔が童顔なのがどうもコンプレックスになっていたようです。私はそれが強みだと思っていたので、正直意外でした。大胆なミニスカートを履いたり、頻繁に髪型やお化粧を変えたりして、大人の魅力を徹底的に研究されていたのでしょうね。

その様子の一端は、1983年5月26日放送のザ・ベストテンで『天国のキッス』を歌う際に、その舞台裏を聖子さんが少しだけ見せてくれています。前髪数本のセットでさえ、妥協なくこだわっているのが分かります。

同じ人間とは思えないこの魅力は、目に見えない部分での地道な努力から生み出されていたのでしょう。トップに上り詰める人とそうでない人の違いは、このような些細な所にある気がしました。

ここで、ニーチェの哲学を思い出します。

『女性、その最もすぐれた者たちは、このへんの消息に通じている。ほんのすこしの肥満、ほんのすこしの痩せぎす―ああ、そんなわずかなところに、なんと多くの運命がかかっていることか!』

ツァラトゥストラはこう言った(下)より 

8-4.幻想的な『小麦色のマーメイド』

「小麦色のマーメイド」を歌っている映像では、お勧めが二つあります。

一つは、夜のヒットスタジオで聖子さんが青いドレスを着て歌っている動画です。人魚になりきった演技とプロのカメラワークが融合した、非常に芸術性の高い作品と言えます。一見の価値ありです。

後は、レッツゴーヤングで黒いドレスを着て歌っているのもいいですね。横顔がものすごく可愛くて、韓国の女性ユーチューバーの方もそれを見て息をのんでおりました。

8-5.魅惑的過ぎる『秘密の花園』

次は、夜のヒットスタジオのトリ(1983年3月14日放送)で、『秘密の花園』を歌った時の動画です。その前には、田原俊彦さんが『ピエロ』を歌っていますね。

しかしいくら聖子さんが魅力的とは言え、最後カメラさん寄りすぎではないでしょうか?ww。ご本人はすごく恥ずかしいはずなのに、その度胸と覚悟には感服します。

この歌もそうですけれど、聖子さんの歌のいくつかは、一度虜になったら中々離れられない魔性の魅力みたいなものを感じますね。

初めの方でも書いたテンプテーションの魔法のような、もしくは電子ドラッグのような中毒性がありますので、今でも熱狂的なファンがいるのは分かる気がします。

補足:
後の夜ヒットで、聖子さんがそれまで歌ってきた歌を一通り映像でご紹介する企画があるのですが、その際、一緒に出演していた中森明菜さんがこの『秘密の花園』や次の段落の『天国のキッス』を口ずさんでいるのをカメラが捉えています。その様子を見る限り、明菜さんは聖子さんの歌をカバーしようと思えばいつでも出来たのではないでしょうか?実際どんな風になるのか、明菜さんが歌っている所を一度は見て見たかったと思います。

8-6.ぶりっ子全開な『天国のキッス』

『天国のキッス』に関連する動画については、私が知る限り15種類くらいパターンがあります。

どれもお勧めなのですが、初めて見る方は『8時だョ!全員集合』の時に歌っている風船バージョンが良いと思います。この動画だけなぜか高画質なものがありますし、お姉さんっぽい見た目なので、性別や年齢関係なく広く受け入れられやすいのではないでしょうか?

それと、夜のヒットスタジオやレッツゴーヤングで、フリルのドレスとリボンを付けて歌っているのもいいですね。キラキラしています。2014年6月6日放送の『僕らの音楽』では、MCの草彅剛さんがその動画を見てメロメロになっています。あのリボンがいいらしく、ご本人が目の前にいるのに、「絶対付き合いたい」とカミングアウトしていました。何となく女性の好みが剛さんと似ている気がします。友達になったらいい酒が飲めそうです。

ちなみに、夜ヒット(1983年4月18日放送)の歌リレーで、聖子さんが田原さんを紹介するシーンがあるのですが、その時の口上が「ズボンのチャックをかけ忘れるのが得意な、田原俊彦さんです」だったので、可愛い見た目とのギャップで笑えました。よほど仲良くないと、普通言いませんよね。(というか、たとえ仲良くてもカメラの前では普通言わないか…)

後は、髪を下ろして白いワンピースで歌っている動画(セットが洋風ガーデンのやつ)も素晴らしいです。ウィンクをしたり髪をかき上げたりと、ぶりっ子とセクシーさ全開で視聴者のハートを射止め(仕留め?)に来ています。親衛隊の応援(怒号)がすごいです。

補足:
動画をいくつか見ていて気づいたのですが、監修者としてジャニー喜多川氏の名前が載っていますね。そして、制作協力はジャニーズ事務所となっています。中森明菜さんの件もそうですが、アイドル同士の交際や結婚をジャニーズが許すとは思えないので、この点がちょっと気になります。

8-7.田原俊彦10周年記念マンスリー豪華メニュー

次は、『夜のヒットスタジオ DELUXE』で1989年6月7日から4週にわたって行われる、田原俊彦さん10周年記念のLIVEおよびメドレーです。

この中で個人的にお勧めなのが、第三週目(6月21日放送)の『デビュー記念日大ヒットメドレー』となります。赤いスーツに黒ラメベストで、約12分間力強いダンスを披露してくれます。バックダンサーの乃生佳之(のおちん)氏と木野正人氏とのストーリーも本を読んで知っているので、感動もひとしおです。特に最後の『哀愁でいと』は締めとして素晴らしいと思いました。

やっぱり、個人的にはこの頃の田原さんが最高と感じます。

8-8.五木ひろしさんが『夏の扉』を熱唱

これは、NHKのどの番組かは定かではないのですが、1983年に聖子さんの『夏の扉』を五木ひろしさんが演歌っぽく熱唱されています。

見どころは聖子さんの反応で、まさか自分の歌が演歌にアレンジされるとは思っていなかったようですね。本当に笑えますので見てください。

正直元のメロディーを知らなかったら、自分はこういう歌だと勘違いしていたと思います。それほど自然に聞こえたので、これはこれでアリなのかな?と思いました。

五木ひろしさんについては、自分は全く知らなかったのですが、田原俊彦さんにとっては兄貴のような存在だったのですね。『日本の名曲 人生、歌がある』という番組では、司会の五木さんをアニキと慕っていますし、たとえ田原さんが一見失礼な事をしても、気にせずにそのまま話を進めています。何かやんちゃな弟として見ているようです。

祖母が生前、五木ひろしさんの事をよく話しており、てっきり私よりもずっと上の世代の方かと思っていて、子供の頃は全く興味を持てなかったのですが、田原俊彦さんの兄貴分だと知ってずっと身近に感じるようになりました。

8-9.トシちゃんが女性アイドルと一緒に浪花恋しぐれを熱唱

これは、1983年12月29日に放送された『ザ・ベストテン』で、年忘れ豪華大共演として企画されたものです。田原さんが『浪花恋しぐれ』を熱唱されるのですが、どうもほとんど事前練習をせずにぶっつけ本番だったようですね。珍しく緊張されているのが分かります。

すごく面白いですよ。見どころは、田原さんの熱演と女性アイドルの歌唱力です。やはり聖子さんと奈保子さんは別格で、素人が聞いてもうまいと分かります。

若い頃の田原さんの歌は、聞いていてあまりうまいとは正直思えないのですが、でも不思議な事に「これはこれで良い」と思えてしまう魅力があります。たとえ歌唱力が低くても、この頃からすでに一流のエンターテイナーだったのだなと感じました。

岡野誠著の『田原俊彦論』を読めば分かるのですけれど、ご本人も歌が下手だと承知していたようですね。

「だって自分でもわかってたからね、ヘタだって(笑)。でも、あのときは自分なりに精いっぱい歌って…その結果だから。(中略)でも、声帯の違いは変えられない。だけどそれって、考え方を変えれば、この声帯はオレしか持ってないってことでしょ。だったら、それをオレの味にしなきゃいけないと思うわけ。」

「CanCam」1989年3月号より

ちゃんと状況を把握しつつ、柔軟な思考タフな精神力で、まさしくご本人の歌にもある『ピエロ』を演じておられたのでしょう。すごく地頭の良い方だと分かります。

8-10.トシと明菜主演の新春かくし芸大会『STAR ALIVE』と『Let’s Go Crazy』

1980年代初期には、田原さんと聖子さんの共演が多かったようですが、中盤に入ってくると田原さんと明菜さんの共演も増えてきます。

明菜さんもこの頃はすでにトップアイドルの仲間入りをしており、かつダンスがうまいためか、激しい動きのある役柄にはうってつけだったのかもしれません。

新春かくし芸として、1984年には『STAR ALIVE』、そして1985年には『Let’s Go Crazy』と、2年連続で大役を任されています。脇役の人たちも、本来であれば皆主役を張れる人たちばかりなので、ラブロマンス・暴力・コメディありのミニドラマとして十分見ごたえがあると思いました。

どちらも恋愛ドラマなのですが、『STAR ALIVE』ではお二人の渾身のダンスとコメディ、そして『Let’s Go Crazy』では田原さんの体を張ったアクション、そしてゴシック系の衣装を着た美しい明菜さんが見どころとなります。

もちろん、プロの演者の方たちと比べれば素人っぽい演技となりますが、事務所同士の垣根を超えて一つの良い作品を作ろうと、一生懸命に取り組んでいる姿勢が素晴らしいと思いました。

人見知りの激しい明菜さんもここでは楽しそうに演じていますし、こうした和気あいあいなホームコメディを私は見たかったのだと改めて感じます。

おそらくこの頃ですかね。『パラダイス愛のテーマ』として、他にお二人で歌やダンスをしている動画もありました。(聖子さんにとっては気が気では無かったかもしれません)

ちなみに、1987年のかくし芸大会『ワンスアポンアタイムインジャパン』でもお二人は共演されているのですが、背景となるストーリーがちょっと個人的には合わなかったのでお勧めには加えませんでした。

8-11.南野陽子さんと田原俊彦さんのお好み焼きトーク(コント?)、そして中森明菜さんとの関係

1988年10月8日に放送した、田代まさしさんがMCを務める『ごちそうじゃん』という番組をこの段落ではご紹介したいと思います。田原俊彦さんと南野陽子さんがお好み焼きを作りながらいろいろトークしている回です。

自分にとって南野さんは、幼少期に見た『スケバン刑事(二代目)』のツッパリイメージが強く、天然で真面目な彼女を見るのはこれが初めてとなります。なので、同じく天然でおふざけ好きな田原さんとの掛け合いは爆笑ものでした。「南野ちゃんの(お好み焼き)デブだもん」といった言葉のチョイスが絶妙です。さらに、先輩である田原さんの強烈なツッコミに対しても全然おじけづかず負けていません。

話の中で、田代さんが結婚の話題をお二人に振るのですが、男女平等論が本格的に議論され始めていた頃の番組なので、二人の結婚観が違うのもよく分かります。「今は男性も一応家事が出来た方が良い」という南野さんに対し、「女は台所に立つべき」という古風な女性が好みの田原さんは、価値観的には合わないみたいですね。

でも、その後の夜ヒットでのコンピューター恋人選びでは、お二人の相性が良いという結果が出ており、私も性格的にはお似合いのカップルかなと思いました。

そしてそれをきっかけとして、後に田原さんが『愛しすぎて』を歌われる際(1989年2月15日)には、疑似恋人として共演もされています。

思い出深い南野陽子さんの歌は、『楽園のDoor』となります。「どこかで聞いた事あるなあ」と思って調べてみたら、やはり子供の頃に好きだった『スケバン刑事(映画ver)』の主題歌でした。同じく、遠い昔に聞いた記憶のある『パンドラの恋人』と『秋からも、そばにいて』もお気に入りです。どれも独特なメロディーで印象的だったので、40年近く経った今でも覚えていたのでしょう。

そして、お勧めする動画は他にもいくつかあります。

まずは、『ザ・ベストテン(1988年3月24日放送)』で南野陽子さんが『吐息でネット』を歌っている回です。香港映画『幽玄道士』のキャストが番組初めから全員登場してくれます。子供の頃に大好きだったテンテンちゃんを再び見る事になるとは予想だにしていませんでしたけれど、やっぱり可愛いですね。

二つ目のお勧めは、『ミュージックステーション(1988年7月22日放送)』で『あなたを愛したい』を歌う回です。最後の方で見せる横顔が本当に素敵だと思います。見出し8-4でご紹介した、松田聖子さんが『小麦色のマーメイド』を歌う時に見せる横顔の美しさに匹敵します。

そして三つ目は、『歌のトップテン(1988年10月24日放送)』で『秋からも、そばにいて』を歌う回となります。番組側はこの歌のために豪華な家のセットを用意しており、そのためか、南野さんも間奏時に気合の入った演出をされています。まるで映画のワンシーンを見ているみたいで、本当に美しいと思いました。

他にも、『夜のヒットスタジオ(1988年4月13日放送)』ではスタイリストの反対を押し切って学校の体操服姿で『微笑みカプセル』を歌ったり、『ザ・ベストテン(1988年7月14日放送)』では『あなたを愛したい』をパジャマ姿で歌ったりされています。リスクを恐れないその姿勢が本当にすごいと思いました。アイデアの勝利です。

これらの映像から、南野陽子さんって超一流のアイドルであり、同時に超一流のエンターテイナーでもあると分かります。

クリス松村さんとのインタビュー(2020~2022年頃?)では、「中森明菜さんから影響を受けた」とお話されていましたね。歌をリリースする時期が重なっていたため、歌番組でも共演する機会が多かったそうです。先輩アイドルとして多くの事を参考にされていたのでしょう。

例えば、南野陽子さんはよく歌を歌い終わった後に小声で「ありがとうございます」と言っていますが、これって明菜さんの影響だと思います。そっくりですし。

そして、衣装に関して言えば、『秋からも、そばにいて』を歌われる際によく着用されていた、幅広なスカートが特徴の中世的衣装は、『歌のトップテン(1987年3月9日放送)』などで明菜さんが『TANGO NOIR』を歌った時に着用されていたドレスを連想させます。

お二人ともあがり症という共通点もありますし、当時若かった南野さんにとって、明菜さんはプロフェッショナルなお仕事を実演してくれる先生みたいな存在だったのかもしれません。

8-12.河合奈保子さん出演回の『徹子の部屋』

ここでは田原さんや聖子さんと同期で仲も良い、河合奈保子さんのご紹介をします。1983年1月6日の『徹子の部屋』に綺麗な着物姿で出演されていますので、まだの方はぜひ見てほしいと思います。

黒柳徹子さんは数多くの芸能人を見てきていらっしゃいますが、その徹子さんが番組の中で何度も奈保子さんの事を「お綺麗」と言っています。実際に見てみれば分かりますが、本当に息をのむほど綺麗です。

おそらく、外見の美しさだけを言っているのではないと思います。性格の良さ・品の良い振る舞い・教養の高さなど、全体的に美しいと言っているのでしょう。

80年代は松田聖子さんや中森明菜さんのインパクトが強すぎて、どうしても他のアイドルが目立たなくなりがちですけれど、清純で飛びぬけて明るい性格、そして歌が非常に上手くてピアノも弾け、かつ外見もお綺麗なので、河合奈保子さんはそのお二人と比べても全然負けていないと思います。

個人的にお気に入りの歌は、段落4でご紹介した『トシちゃんと聖子の’83ヒット・メドレー』でも歌われている『UNバランス』、そして『デビュー〜Fly Me To Love』となります。

映像でのお気に入りは、NHKホールでの転落事故から復帰の際、1981年11月30日に夜ヒットで歌われた『ラブレター』がいいですね。後ろには親衛隊の方々がいて、力の限り応援されているのが分かります。

それから13年後となる1994年10月12日放送の夜ヒットで、当時の事を奈保子さんご自身が振り返っていらっしゃるのですが、「本当にうれしかった」そうです。31歳なのに、見た目も性格もほとんど変わっていなくて驚きました。ファンの夢を裏切らないその姿勢は素晴らしいと思います。

これほどの人が「なぜトップアイドルになれなかったのかな?」と不思議に感じますけれど、おそらく、当時の時代背景もあるんだろうなと思います。聖子さんは髪型やお化粧で頻繁に外見イメージを大きく変えていましたし、一方の明菜さんは初めツッパリ系・清純系の路線で進み、段々とヨーロッパやアラブ系の曲調を取り入れて、歌のバリエーションが国際色豊かになっていきます。

80年代は大きな変化や物珍しさが求められる時代だったのでしょう。品が良くて清純一筋のアイドルは、その当時地味に見えたのだと思います。

河合奈保子さんだけでなく、番外として次にご紹介する岡田有希子さんもそうですが、先行きが見えない今の時代だからこそ、裏表のない純粋で品の良い自然なアイドルが求められている気がします。

ビジネスである以上、希少なものに人は価値を見出し、お金を出します。偽物では駄目なので、当然プロデュースする側にも素質が求められる事になります。

8-13.それ以外

他には、聖子さんが『チェリーブラッサム』を歌っている時の花パックン(背景に大きなサクランボが写っている動画)や首を軽くかしげる(画面左上に朝の時刻が表示されている動画)一瞬のシーン、そしてスキー場のレストランで『Rock’n Rouge』を歌っている時の顔技も見逃せません。一瞬の仕草で心を奪われてしまった人は数多くいるでしょう。罪なお人です。ぶりっ子もここまで来ると芸術と言って良いと思います。

松田聖子さん・中森明菜さん共演の蝶々採集コントもいいですね。トップアイドルお二人によるコントは非常に貴重で、仲の良い姉妹みたいです。ほのぼのとしていて、もっといろいろ見てみたかった気がします。

後は、ちょっと怖い聖子さんもご紹介しておきます。それは、『ねのね一家のお正月』というテレビ番組での出来事です。お正月の特番なので、聖子さん以外にも、着物姿で中森明菜さん、早見優さん、柏原芳恵さんなど、沢山のアイドルが出演しています。

その番組の中で、人気アイドルが直接ファンのお家に電話してトークする企画があるのですが、松田聖子さんのファンと言っている人に対し、中森明菜さんが冗談で何度も誰のファンかと聞くシーンがあります。

ポイントはここからで、そのやり取りを見ていた時の松田聖子さんのお顔が、私は怖く感じました。猫が獲物を狙うような目で、じっと明菜さんを見つめています。しかし、彼女が自分の意思でやったわけではないと気づいたからか、すぐにいつもの笑顔に戻りました。

この過程を見て、トップに立つお人はやはり違うなと思いました。分かってはいましたけれど、当然可愛いさや頭の良さだけでアイドルのトップに立てたわけではありません。天真爛漫な明菜さんも魅力的ですけれど、このようにいろんなお顔を持っている聖子さんもまた、ミステリアスで心惹かれます。

9.番外:もう一人の永遠のアイドル、岡田有希子さん

それと番外として、永遠のアイドルと呼べる方が他にもいると分かったので、ご紹介します。

1984年にデビューし、2年後の1986年に亡くなられた岡田有希子さんです。ポスト松田聖子として期待されていた人でもありますね。(ご本人は河合奈保子さんの事を中学生の時からずっと慕っておられたそうですが)

キャッチコピーは「素敵の国からやってきたリトルプリンセス」、「いつまでも一緒にいてね」となっています。今でも国内外で根強い人気を誇っている状況を見るに、後者のキャッチコピーは意味深に感じます。

2023年4月17日に放送された『Youは何しに日本へ?』という番組で、海外からの岡田有希子さんファンの特集をやっていましたけれど、その中でオーストラリアの人がインターネットも無かった約40年前にどうやって岡田さんの事を知り、ファンになったのかが気になってしまいました。当時はCDやDVDなども無く、レコードやビデオテープのはずですから外国に物を送るって結構大変だったはずです。磁気テープの場合はX線検査対策もしないといけませんし。

私の場合は、1985年6月9日放送のレッツゴーヤングで、田原俊彦さんが女性アイドルの方々と共演した回を見て初めて知りました。デュエットの際、岡田さんが歌われた竹内まりやさん作詞・作曲の『ファースト・デイト』が非常に良かったので興味を持ったわけです。メロディーがいいですね。明菜さんのデビュー曲である『スローモーション』と同じくらい気に入っています。

そこで、ここでは特に『ファースト・デイト』を歌っている時のプロモーションビデオをお勧めしたいと思います。彼女の人柄やポテンシャルがよく分かるPVとなっており、歌がうまいだけではなく、身体能力も高いので、最初からアイドルとして有望だったと推察できます。このPVは、ユーチューブの『岡田有希子ポニーキャニオン公式チャンネル』でも見られますので、ご興味ありましたらぜひ見てほしいです。もちろん、公式にある他のPVや『Night Tempo』プレゼンツによるオリジナル曲のアレンジもいいですよ。

同じ『ファースト・デイト』では、1984年5月31日に『ザ・ベストテン』でスポットライトとして菊池桃子さんと一緒に登場する回もお勧めです。トークもありますし、黄色いドレスが映えています。『突然ガバチョ!』という番組の白いドレス姿で歌う映像も、小走りで登場するのが初々しくて良いですね。

それと、1984年10月25日に放送された350回記念の『ザ・ベストテン IN OKAYAMA』で、同じく竹内まりやさん作詞・作曲の『恋、はじめまして』を歌われている間に、観客皆が協力して、『岡山』の代わりに『岡田』の漢字を有希子さんのために作ってあげたシーンに感動しました。一体感があって、今の日本人に出来るのかな?とうらやましく感じます。司会の久米宏さんにとってもこれは思い出深かったらしく、後日他のテレビ番組でお話されておりました。中森明菜さんは残念ながら生中継での出演となりましたが、有希子さんの歌を聞いている途中に「私も岡山に行きたかった!」と何度も言っていたらしいですね。この頃からすでにお二人は仲が良かったのかもしれません。

後は、さんまさんが司会をする『Do-Up歌謡テレビ』番組で、1984年10月14日に放送する『恋、はじめまして』も素晴らしいです。歌の最後あたりに大きなカボチャが登場して、それが馬車に変わります。セットが完全にメルヘンの世界で、有希子さんのイメージにぴったりだと思います。

いろんな映像を見ておりますと、岡田有希子さんって心が純粋繊細な方だと分かります。なので、何か中森明菜さんと性格的に似ていますね。もし違いがあるとすれば、岡田さんの方はストレスや悩みを溜め込みやすいのかな?という所でしょうか。お二人が非常に仲良かったのも納得です。

1986年の『歌謡ドッキリ放送』のエンディングでは、周りの先輩に気遣ってか、中々カメラの前に立とうとしない控えめな有希子さんを中森明菜さんが引き寄せて、一緒に仲良くカメラの前で手を振っています。本来であれば、ポスト松田聖子と言われており、将来ライバルになるかもしれない有希子さんをそこまで気遣う必要はないのですが、損得を考えないその振る舞いが、今でも中森明菜さんが多くの人に愛されている理由なのでしょう。

独断と偏見となりますけれど、このような裏表のない思いやりのあるアイドルを好きになる人って、基本悪い人はいないと思います。

他に、昔の番組を見ていて思ったのですが、命を絶った原因を「岡田さんが(個人的に)悩んでいた」というような、ご本人だけに帰すような芸能事務所および報道の姿勢には違和感を覚えました。普通に考えれば、まだ10代のアイドルに休みすらまともに与えなかった事務所側にも責任はあるでしょう。

1985年7月10日放送の『夜のヒットスタジオ』では、カメラリハーサル時に泣いて歌えなくなっています。さすがに夜ヒットの司会者である井上順さんも、事務所のスケジュール管理に対して軽く苦言を呈されていました。後ろに座っている中森明菜さんの微妙な表情が何とも言えません。

しかし、その後の彼女の様子を見る限り、状況は改善されなかったようです。

1985年の10月頃だと思いますが、ビートたけしさんがMCをやっている『スーパーJOCKEY』では、『Love Fair』の歌い初めに笑ってしまい、後でたけしさんからその事をいじられています。有希子さんによると何か「声が聞こえた」そうです。確かに顔は笑っていましたけれど、泣きそうなのを我慢して歌っているように私には見えました。

当時の映像を時系列で見ますと、デビュー時は目がキラキラ輝いていたのに、1985年の秋ごろから目の輝きがだんだんと消えていきます。賞をもらっても全然うれしそうには見えません。

晩年の『くちびるNetwork』を歌っている頃には、目にクマが出来ていますし、中には焦点が合っておらず、生気がほとんど感じられなかった映像(1986年3月6日放送の『ザ・ベストテン』)もありました。逆に、亡くなる直前に歌われた時の方が元気で明るく見えます。

事務所の先輩である松田聖子さんも、初期の頃に歌いすぎて喉を潰してしまい、一時期相当悩まれていたようです。それでも突き進み続けた超人的聖子さんと、繊細で内向的な有希子さんを同じように扱ってしまったのが大きな間違いだと思いました。

確かに、『年上の男性が好きだった』という報道内容にも真実は含まれているでしょう。しかし、有希子さんが亡くなった理由としては説得力が若干薄いと感じます。聖子さんのご結婚の流れを知れば知るほど(次の段落で説明します)、その思いは強まりました。

結果論ですけれど、明菜さんの事務所に所属していた方が良かった気がします。面倒見の良い先輩に悩み事を相談できたでしょうし、明菜さんにとっても可愛い後輩が出来るわけですからうれしかったと思います。

9-1.お気に入りの歌

私が気に入っている歌があるのでいくつかご紹介します。

一つは『星と夜と恋人たち』という歌で、これは有希子さんの歌の中ではマイナーなようですけれど、大人っぽいメロディーなのでお気に入りとなります。映像では、1985年6月9日放送の『レッツゴーヤング(トシ七変化)』で赤いドレスを着て歌われています。「楽しかった」というスイスのロケに行くのはこの後ですね。

私が未熟だからかもしれませんが、歌詞の内容を理解するのが難しいです。ひとつ理解できそうだとしたら、「ああ ひとつの恋のために 流され星になった ギリシャの女神のよう」という歌詞部分で、有希子さんの人生を暗示しているようで何とも言えない気分になります。

気づいた事として、『Sweet Planet』、『ジュピター』、『銀河のバカンス』、『流星の高原』など、結構星や宇宙に関する歌タイトルが多いと分かります。星形のイヤリングも沢山集めていらっしゃいますし、何か特別なこだわりを持っておられたようです。

二つ目は、『WONDER TRIP LOVER』です。私がオーストラリアに滞在していた頃によく聞いていた歌に似ていたため、本当にびっくりしました。調べてみると、実際に当時聞いていたのは中谷美紀さんの『クロニック・ラヴ』で、そのオリジナルを岡田有希子さんが歌っていたようですね。

重い曲調に聞こえるので、何となく有希子さんの明るいイメージには合わない気がするのですが、歌自体は気に入っています。中谷さんの『クロニック・ラヴ』や坂本龍一さんの『Ballet Mecanique』の方が軽快なメロディーとなっているため、聞きやすくて万人向けと思います。

そこで、いろいろ検索していたら、それら三つの歌を重ねてしまった人がいると分かりました。YouTubeで『Wonder Trip Lover + Ballet Mecanique + Chronic Lover』と検索してみてください。オリジナルの重い曲調に多少違和感があったので、私はこちらのアレンジバージョンも気に入っています。

他には、先輩の松田聖子さんが歌っているように錯覚してしまう『Sweet Planet』、『ヴィーナス誕生』、『さよなら・夏休み』もお勧めです。有希子さんの繊細なご性格が表現されている『水色プリンセス-水の精』や『憧れ』もいいですね。

後、レッツゴーヤングで薬丸裕英さんと『二人だけのセレモニー』をデュエットした際の映像を見て気づきましたが、題名の通りこれは好きなお相手と一緒に歌うと盛り上がると思います。

9-2.お気に入りのコントやバラエティー

次に、岡田有希子さんは活動期間が二年間しか無いにも関わらず、コントやバラエティーなどにも結構出ておられますので、いくつかご紹介したいと思います。

まずは、『ねのねの いじわる温泉旅館入門』です。岡田有希子さん・中森明菜さん・菊池桃子さんが温泉旅館の仲居役で共演されています。具体的な時期は分かりませんが、有希子さんの髪型がショートになっているので1985年、そして明菜さんの髪型が『ミ・アモーレ』や『SOLITUDE』を歌っていた頃のものなので、1985年の春以降に放送されたものと推察します。

明菜さんと有希子さんが先輩仲居でいじめ役を演じ、そして桃子さんが新人仲居でいじめられ役を演じるのですが、いじめられ役はセリフや演技力が求められるので、そつない演技が出来る桃子さんが配役されたのでしょう。ごみ入れとお膳を渡していくコントが個人的にお気に入りで、有希子さんと明菜さんのドジっぷりが可愛いです。

当時のアイドルは、こういう若者向けのゆるいお芝居を通して、少しずつ演劇のスキルを磨いていったのでしょうね。有希子さんが楽しそうに演じておられるのが救いです。

次は、1985年12月7日に放送された『おもしろ人間ウォンテッド』より、岡田有希子さんがデビュー前に発声訓練の一環としてよく練習したという、歌舞伎の『白浪五人男』を演じた回をご紹介したいと思います。

セリフを全て覚えていた事にも驚きましたが、まさかこれほど男らしくて勇ましい彼女を見ることになるとは思いませんでした。

歌などで可愛い部分しか見ていないと勘違いしてしまいがちですが、デビュー前の一年間、このような血の滲むような努力と苦労をされてきたからこそ、若くして脚光を浴びる事が可能だったのだと感じます。これはぜひ見てもらいたいです。

当時の女性アイドルの歌唱力が非常に高い理由がこれで良く分かりました。

ちなみに、ここでは南野陽子さんが『おもしろ人間ウォンテッド』の司会サポートをされています。後で分かったのですが、有希子さんと陽子さんは同級生です。

1984年と一年早くアイドルデビューしているので、てっきり学年も一年違うと勝手に思っていましたけれど、実は同じ堀越高校3年D組の生徒となります。ネットで写真を検索してみると、確かに岡田有希子さんと南野陽子さんが一緒に写っているものがありました。

追記1:
芸能界では同期で、かつ堀越高校の一年後輩である荻野目洋子さんとも非常に仲が良かったようです。お寺の住職によると、数十年経った今でも数年に一回、岡田さんのお墓参りに訪れているようですね。

追記2:
2023年7月29日放送の『人生、歌がある』では、田原俊彦さんの歌を皆で歌う前に、早見優さんや荻野目洋子さんが80年代当時の田原さんとの懐かしいエピソードをお話されています。その際、田原さんの生涯アイドル宣言を聞いて驚いた荻野目さんは、「自分も頑張っていかないと…」と答えておられました。もしかしたら、志半ばで亡くなられた有希子さんの分も頑張っていこうとされているのかもしれません。

1985年5月29日に放送した『夜のヒットスタジオ』でのトークは結構笑えましたね。有希子さんは小柄なのに相撲が強いという事で、司会の井上順さんや芳村真理さんが驚き、試しに順さんが相撲を取ろうとするのですが、実際に得意なのは尻相撲の方だったので、共演者皆が大笑いしています。そういうお茶目な所が、男女問わず長らく愛されている理由なのでしょう。

後、驚いたのが、岡田有希子さんが『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に出ていた事です。調べてみると、1986年1月11日から番組が始まったようなので、私が7歳の時に有希子さんをリアルタイムで見ていた可能性があります。個人的には、桜前線をレポートするお天気コーナーが面白かったです。

他には、『哀愁情句』というタイトルで、田原俊彦さん・シブがき隊・岡田有希子さんが映画を撮影するという設定で共演するものもあります。主役で先輩の田原さんと見つめ合っても全然動じておらず、見た目とは違って芯が強い部分もあると感じました。

おはようスタジオ』レコード社長らが作詞したという『ファースト・デイト』の替え歌『がんばれドッグ社長、有希子ちゃんがついている!』や、一般人の恋している男の子が作詞したという『リトルプリンセス』の替え歌『プリンセス・有希子』も面白いです。前者は物を売ろうとしても全く売れない人の葛藤や心情をうまく突き、そして後者は有希子さんがアイドルになるまでの経緯を簡潔にまとめた良い歌だと思います(笑)。

いずれのコント(バラエティ)も、お笑いに慣れていないせいか、それとも元々話すのが苦手なのかは分かりませんが、セリフはあまり無い事が多いですね。でも、それがかえって良いのかもしれません。

9-3.後輩の85年組アイドルが追う存在だった?

霜降り明星ゴールデン☆80’S』という番組の、2022年10月19日に放送した回では、斉藤由貴さん・南野陽子さん・浅香唯さん(1985年同期デビューで、かつ『スケバン刑事』繋がり)が出演されるのですが、その中で、南野陽子さんが選ぶ80年代アイドルソングの中に、岡田有希子さんの『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』が入っていました。

歌の紹介中、陽子さんは「我々ぐらいの人は、彼女を追っていたと思います」とお話されています。堀越学園の同級生でありながら、芸能界では一年先輩だった有希子さんを今でも忘れていない事が分かりますね。

10.まとめ

今回は、永遠のアイドルである、松田聖子さんと田原俊彦さん、加えて岡田有希子さんをよく知らない人のために、私がここ一年間見てきたお勧めコンテンツをご紹介しました。

著作権の問題もあって、文章主体でのご紹介となりましたが、面白さなどがうまく伝わりましたでしょうか?ご興味がありましたら、チェックしてみてください。

ただ、一つどうしても気になっているのが、松田聖子さんは神田正輝さんとのご結婚を本当に望まれていたのかな?という点です。

1985年4月18日に、聖子さんは最後の『ザ・ベストテン』に出演なさるわけですが、番組最後の別れの挨拶シーンで、首を傾げながら悲しそうに頭を下げている様子(隣には斉藤由貴さんがいます)が一瞬だけ映るからです。

加えて、同じ時期の1985年4月15日に放送された『ザ・トップテン』でも、表面上は取り繕っていますけれど、終始悲しそうに見えます。特にエンディングで一瞬映った時(両隣には河合奈保子さんと菊池桃子さんがいます)には真顔になっています。

見出し5-6の『二人の愛ランド』を歌った時もそうですけれど、これから大好きな人と一緒になる、幸せいっぱいな女性の顔にはとても見えませんでした。トップアイドルにまで上り詰めた方が、生放送中のエンディングに笑顔を忘れるって相当の事だと思います。

1984年12月13日の『ザ・ベストテン』では、田原さんと聖子さんが仲良く腕組みをして登場されているので、その後数か月間に何が起きたのかと違和感を覚えて仕方がありません。(ちなみに、この回の『ハートのイヤリング』の演出は必見です。聖子さんが歌う後ろで、なぜか忠臣蔵が始まり、ウルトラマンに出てくるような怪獣が登場し、そしてゴーストバスターズがそれらを退治するという、今ではとても放送できないような訳が分からない内容となっています)

人気アイドルとして非常に多忙な聖子さんが、たった3か月間ほどのお付き合いで将来の夫を決めた事になります。当時誰もおかしいとは指摘しなかったのでしょうか?

注目は、1984年12月24日放送の『夜のヒットスタジオ』でのやり取りですね。田原さんが『ラストシーンは腕の中で』を歌う前に、皆と一緒のトークがあるのですが、その中で司会の井上順さんが来年の春に「何かある」と匂わしています。

その途端、周りにいる芸能界重鎮の方々が皆大笑いしており、田原さんご自身もそのお話で焦っていますね。美空ひばりさんは彼の肩を優しく何度か叩き、芳村真理さんは「順ちゃーん、その話は無しにしようじゃない、トシちゃんかわいそう」と言っているように聞こえます。つまり、田原さんが悲しむことが、来年の春に起きると言っているようです。

もしこれが聖子さんの婚約の事を言っているのだとしたら、この時には事務所同士ですでに話が決まっているという事になり、田原さんの焦った反応を見る限りは、当人たちの意向は無視して進められていたと考えられます。

聖子さんが変わられたとしたら、多分この時からですね。ラジオだと「結婚したら家庭に入りたい」、「亭主関白がいい」と言っていたはずなのに、その後芸能界で活動を再開されていますし。本文でも少し書きましたが、田原さんが急に男らしくなり、性に奔放になりはじめるのも1985年頃からです。

追記:
1986年の3月初め頃、つまり松田聖子さんがご結婚されてから約8か月後に、岡田有希子さんのラジオにゲストとして登場しています。そこで、年頃の有希子さんは聖子さんの新婚生活に最初から興味津々なので、ストレートに聞いておられました。長くなるため簡潔に書きますと、後輩へのアドバイスとして、「あのね、私も結婚して本当に思うのはね、(結婚は)全然焦らなくていいと思うの」とお答えされています。スピード婚だったご自身とは逆のアドバイスをされていますね。また、結婚をする時の悩み(葛藤)を話し始めたら「何時間にもなる」ともお話されていますから、少なくとも話はそう単純では無かったという事が分かります。田原俊彦さんも、ご自身のユーチューブチャンネルで当時「(聖子ちゃんと)いろいろあった」と言っていますし、当人たちにしか分からない悩みがあったのだと思います。

『徹子の部屋』で、51歳の田原俊彦さんが自分の娘(可南子さん)を芸能界に入れたくなかったと言っていますけれど、聖子さん・明菜さん・有希子さんなどがどれだけ大変な思いをしてきたかを近くで見てきていたからでしょう。昔の芸能界は一般の常識が通用しない怖いところだと感じました。

80年代は素晴らしい時代と思って本コラムを書いてきました。しかし、経済が右肩上がりで光が強い分、影も濃いです。昔から何かを学ぶのであれば、学ぶべき点とそうでない点を、切り分けて見ていく必要があります。

改めまして、もし本記事の内容に誤りがありましたら、ご指摘いただけたらと思います。いろいろな情報ソースを参考にして、点と点が繋がるように洞察しながら書いているため、内容や解釈が間違っている部分も多々あるかもしれません。

一番は、聖子さんや田原さんご自身に当時の事をお話しいただけるのが良いのですけれど、それはこれからも多分無いでしょう。

最後に、ここでご紹介しているコンテンツのいくつかは、放送されてからすでに40年が経っています。古いコンテンツはいい加減著作権フリーにして、誰でも見られるようにしてほしいです。

なぜならば、何百年前の歴史を時間かけて学ぶよりも、現代日本の過去から現在までの数十年間の流れをちゃんと知っている事の方が、はるかに重要と思うからです。世代間で情報・知識が共有されていないと、未来のあるべき日本を議論・模索する事もままなりません。歴史アーカイブとして、日本人が昔のテレビ放送をいつでも自由に見られるよう、法改正した方が良いと思います。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

おわり

追伸:本当に長くなってしまいましたが、とにかく一つの記事に収めるようにしました。関心を持っていただける人に読んでいただければそれで満足です。